空気のような空気

 (承前)例えば嫌韓の空気などというものにしても、あるといえば確かにあるが、空気だから空気のようなものである。昨年遂に史上最高額を更新したK-POPの日本での売り上げは、今年に入って落ちただろうが、空気のように拡がるときにはまた広がるだろう。「日韓関係とK-POPの関係について」などと<余計な>質問をした記者に、「それってどういう関係があるの?」と聞き返したという少女だけでなく、オジさんたちも、「いや、彼女たちは親日だからね」などと言い訳けしながら、アン・シネやイ・ボミの後をついて回ることを止めないだろう。
 問題は、<余計な>ことを考えない知らない少女に<余計な>質問をした記者と同類の、「物を知った(教養のある)」連中(正確にはそう自認する連中)で、事実を証拠に相手をフェイクと断定しようとするが、既に「事実には二つある」。・・・(眠いので、無責任にまた続く)
 

空気に合わせる空気

 (承前)歴史を棚上げしたハグや、歴史など知らない例えばプチ整形などは、友人ができる妨げにはならないが、厄介なのは例えば史観(フェイク史観)などを持った「教養」ある連中で・・などと書い継いでみたが、つまらない話であるだけでなく、「空気」がどこかへ行ってしまった。
 ハグをしたりK-POPを聴いたりするのも、もちろん文化であり「教養」であるが、問題は、そういった開放的な文化ではなく、閉鎖的に自己完結して行く「教養」が生み出す「空気」である。
 「この国には二つの違った「事実」がある」(高橋源一郎)。「この国」だけのことではないが、それはいま問題にしないことにして、ともかく異なった理論と事実が、異なった世界観(教養、参照系)を作り、異なった「空気」を生み出す。
 田原氏のように、反韓政策支持率が「驚くべき」高率だったことを、現政権下で拡がるウヨ史観の「空気」と見る人々は少なくないが、逆に、戦後史学や戦後教育界を席捲してきた「自虐史観」の「空気」に苛立つ人々も少なくない。しかし、同じ空気でも、揚子江気団と小笠原気団などとは違って、「空気」の平和共存は難しい。
 一強政治に都合のよい「事実」が、一強「理論」に統合され、強大な一強「空気」の膨張が進んで、例えば田原総一朗氏を驚かす。
 日本では、「互いの顔を見て判断し、多数に自分を合わせてゆくという「空気」の力がますます拡大して」ゆきつつある、と堤未果氏はいう。一強政治に都合よく作られた支配的な「空気」。その「空気」に自分を合わせてゆくという「空気」。(続く)

滅びる

 「承前」。といっても、筋は通っていないし、昨日との接続さえ怪しいが。

 昔の学生は「アルバイト」などとドイツ語で<教養>をひけらかしたりしたが、今は、少なくともドイツ文化に惹かれてドイツ語を学ぶ者より、政府や「空気」がどうであっても、韓国文化に親しんでハングルを学ぶ若者の方が多いだろう。
 ソウルで「反日デモ」(と報道された「反安倍デモ」)の現場に、目隠しして腕を広げて立った桑原功一氏のような青年もいる。傍らの看板にこう書いたという。「私は日本人です。日本には日韓友好を願う多くの市民がいます。韓国でも同じだと思います。私は皆さんを信じています。皆さんも私を信じてくれますか? もしそうなら、ハグを」。結果、暴力も罵倒もなく、多くの参加者からハグされたとのこと。
 もちろん、文字通り「反韓デモ」をして「帰れ!」などと大声で叫んだりたりする若者もいる。しかし多分、高学歴で高年齢のネトウヨの方が<根>が深い。「今」への不満ではなく、20年あるいは30年かけて感じ続けて来た喪失感と、この先き滅びるのではないかという不安感を背負っているからだろう。

 ネトウヨ嫌韓を批判して、「日本が韓国を敵対視するのはおかしい」、「韓国国民が感じる反日感情を理解する」、というユニクロの柳井会長は、滅亡不安が嫌韓を生むというよりむしろ、嫌韓が滅亡への道を示しているという。
 「日本が韓国に反感をもつようになったのは、日本人が劣化したという証拠だ」。「今までの30年間、世界は急速に成長してきたが、日本はほとんど成長できず、先進国から中進国になっていって、もしかしたら開発途上国に転落してしまうかもしれない」。「このままでは滅びる」、と。(続く)

教養について

 (承前)知識は単独であるのではない。例えば、「病院代がタダ」という知識(またはフェイク知識)を持った者は、「不正受給」といった専門知、「パチンコ屋で見た」といった体験知など、関連する知識群(またはフェイク知識群)を、進んで選択的に<学んで>ゆくだろう。さらにそこに、それらに親和的な、<社会的弱者>についての多くの差別知が、引き寄せれ、まとわりついてゆく。
 大塚英志氏を借りていえば、<学ぶ>ことで選択的に集積される能動的な知識群は、「教養」であり、事態に対処する際の「参照系」である。良くも悪しくも、共同性が(幻想であれフェイクであれフィクションであれ)教養あるいは観念系あるいは物語といったものに憑くことがなくなり、ただフラットなプラットフォームだけが、「民主的、共同的」な顔をして(そう見えるものとして)、空気のように横たわっている。
 こうして、「父のPCはネトウヨサイトだらけ」(鈴木大介)ということも起こりうる。名門大学を出て高度成長期の企業戦士だった父君の知的好奇心は、退職後、「がむしゃらに働けば報われた日本社会」への喪失感を「奪われた」という共通言語に転換する、ネトウヨ排外主義の知識群に引き寄せられていったようである。

 高学歴で<勉強家>のネトウヨ「知識人」あるいは「教養人」。親玉が、テレビや雑誌で、差別や弱者叩きの言説をまき散らしている。(続く)

空気について11 → フェイク

 (いい加減に歩いている間に元の道から外れてきた。タイトルの縛りをやめる。)

 (承前)ところで、「生活保護のうちって~病院代がタダ」、というのは<知識>である。ちなみに、「タダ」というのは間違っているのだが、正誤は差し当たり問題ではない。というか、このことが問題なのだが。

 だいたい、知識がある、ということはどういうことだろうか。

 大学の教室で、「ここ百年の間に日本と戦争した国は?」という質問をすると、多くの学生がアメリカ以外の国に〇をつける、と池上彰氏がどこかで書いていた。(ちなみに氏は、学生の無知を嘆いたり笑ったりするのではなく、記者として「訳が分からず面白くもないニュース」を書いてきた責任を感じて今の仕事をしているらしいが、それは横道)。

 人は、戦争を<知らない>ゆえに気安く「戦争で取り戻せばよい」と発言したりする。「無知が役立ったためしはない」とは、大英図書館に通い詰めた人の至言である。

 そうではあるのだが・・

 子どもは天使だというのは嘘で意地悪もすればイジメもケンカもするとしても、しかし例えば民族を理由にした仲間外れをするには、親が民族差別という(悪)<知恵>を授けなければならない。
 「よく知らんけど、無理に連れてきてメチャ働かせたんなら、昔のことでも補償してあげればいいじゃん」というのは、素朴で素直なのか無知なのか。そういう友人を、「お前、反日か!」と罵倒する男は、例えば「日韓請求権協定(略称)」という<知識>を凶器として使う。
 もちろん、その場にさらに、「協定は個人の請求権を縛らない」という<知識>で反論する者がいるかもしれない。「生活保護の家ってぜったい得だよな」といわれた女の子は、生活保護の理念や法律についての<知識>を深めながら、力強く歩みだす。
 
 ただし、ここに、<無知>を惑わす<生半可な知識>→<生半可な知識>をたしなめる<正しい知識>あるいは<確かな知識>。・・・といったプロセスを見るには、正しさや確かさについて、一つの筋が共了承されなければならないのだが、それが結構難しい。
 「請求権」の範囲のような政治的な対立事例だけではない。科学者たちが共承認している<科学知>も「フェイク科学」といえば相対化して拒むことができる。アメリカのいくつかの州では、進化論はフェイク科学である。記者たちが裏取りした<事実知>も「フェイクニュース」といえば拒むことができる。

 便利な時代、厄介な時代になったものである。(続く)

空気について 10

 しかし、どうもそう単純ではない。
 頑張っている俺たちでさえ沈みつつあるのだから、お前らが貧しく辛い境遇にいるのは当たり前だろう。と冷たく突き放しているだけでは多分ない。
 「在特会」の「特」は「特権」である。
 「生活保護のうちってさー、病院代がタダなんだって?」「いいよなあ。働かずに金もらえるんだ。その上、病院代もタダかよ。うちなんてさ、(両親とも働いてすごく大変なのに)がっつり治療費、とられるぜ」「生活保護の家って、ぜったい得だよな。」(安田夏菜『むこう岸』)
 「あの連中が原発避難民ですよ。たまたま住んでいた地域が指定されたというだけで、この町に来てタダで家を用意してもらってね。高額の補償金で、ぜいたく勝手な暮らしをしているんですから。まるで特権階級ですわ。」(赤松利市『藻屑蟹』が手元になく、記憶だけの丸きりの捏造文)。
 ホリエモンは、「12年間勤務して手取りの月給が14万円だという会社員」を「オワタ」というが、その「特権」を、正規の月収「30万円」が羨み指弾することもありうるわけである。「14万というけどね。こっちは夫婦の他に、寝たきりの年寄りと金食い大学生、飯食い高校生あわせて5人が、30万そこそこで食ってんだよ。年寄りとガキには部屋があり妻はリビングを占領していて、俺がため息をつけるのはトイレだけ。陽が差さなかろうが古かろうが、ワンルームを使えるなんて贅沢じゃないか。それなのに所得税がタダかよ。」
 もちろん、14万というのは、特異例ではない。「5年前に離婚し、女手一つで小学2年の長男(7)を育てる盛岡市の女性派遣社員(39)がため息をついた。フルタイムで働いても手取りは月14万円」(「河北新報」記事)。(続く)

空気について 9

 「空気について」などと大きなタイトルを付けてしまったが、社会学者でも評論家でもなく何か実践運動をしているわけでもない。理論もデータも知らず現場も知らない。怠け者で世の中の動きにうとい。だから、書いていることは、信用してもらうに足りない。信用してほしいとも思わないが、ともかくその程度のものである。
 そんなわけで、「一強」政治状況から始め、「公正世界仮設」や「正常化バイアス」という言葉に触れた記憶があるが、そこからの筋は通っていないに違いない。とはいえ、前を読み返す気はないし、先の見通しがあるわけでもない。ただ、寝る前に、その場で少し書き継ぎ書き足しているだけである。
 ともかく、「嫌な空気」があり、その空気に乗りまた空気を吐き出す発言や書き込みや行動がある。そして、弱者を叩く空気を許容し助長し足場にする政治が、空気のように広がっている。
 人々が過酷で悲惨な状況にあるのを見ても、「社会的に不公正」な事態と受け止めない。彼ら自身が招いた事態であり、責任は彼らにある。そう考えることで、「この社会は公正で正常」だという観念を維持することができて<安心>する。そんな心理的処理は、あるかもしれない。何とかミクスも、大国トモダチ韓国カタキ外交も、うまくやっているではないか。Youは日本に感嘆している。
 あるいはしかし、そうばかりとはいっていられない。長期沈下は止まらずこのままではオワリだという<不安>。沈む日本なら世界に羽ばたくまでだと嘯く月収1億円には遠いが、学歴も能力もキャリアもあってこれほど頑張っている社会の中核、平均的な30万円が、それでもシャッター街に残されるのか。
 いずれにしても、<安心>と<不安>を背負った30万円が、14万円の「アンダーグラウンド」(橋本健二)階級を、自己責任と冷たく差別し切り捨てる空気がある。としても、だから14万円が、その鬱屈と鬱憤を、例えば衝動的な犯罪やネトウヨ言動に吐き出しているのだろうか。いや、むしろそうではなくて、中核的担い手を自認する30万円平均諸氏こそが、「14万円オワタ」「韓国オワタ」と囀ることで、<不安>から逃れて<安心>しようとしているのではないのだろうか。(続く)