ライト(13)

 例えば、パリ6月蜂起についてなら、サルトルならずとも私もまた、「合法性」に対して蜂起労働者たちの「正当性」に加担します。というか、もしもパリの少数支配ブルジョア階級に対して、多数プロレタリア階級が本気で蜂起したのだとすれば、誰彼の加担などなくとも、鎮圧される筈はありません。
 しかしながら、(私は歴史の推移については全く知らないので想像に過ぎませんが)、蜂起事件は急速に、パリ市の事件からフランス国の事件へと転化してゆき、それにつれて、鎮圧軍の出身階級また鎮圧を「合法」と認証する国民階層が、次第に歴史の主役の座を奪っていった筈です。こうして、(想像ですが)パリ市の蜂起労働者の「正当性」を押し潰していったのは、政府と軍の「合法性」というよりは、その合法性に「正当権」を与えていった農業国フランスの「非(雇用)労働者=国民多数派」であり、いうならば彼ら多数国民の「正当性」だったのではないかと思われます。多くの人々(といういい方こそが曲者なのですが、ともかくフランス国民の声を自称する<多くの人々>が、蜂起を、(「合法的ではない」というよりは、端的に)「不当だ」=「正当性がない」と見なしたことによって、あるいはその声に押されて、鎮圧軍は、はじめて蜂起者に襲いかかってゆけたし、実際そうしたし、そして残念にも鎮圧に成功したのではないかと思われます。