差別と日本人

 残暑が戻った。で気が付いたのだが、今年は西瓜を食べていなかった。今頃になってだが西瓜を買って、本屋にいった。
 野中広務辛淑玉『差別と日本人』。今頃になってだが、買って帰って、すぐ一気に読んだ。
 あるとき少し名の知れた知り合いのフェミニズム論客が、またあるとき同じく前衛党に依拠する論客が、いわゆる糾弾や同和利権を強く非難しつつ、部落差別は基本的になくなっているのだ、と口にするのを、実際に聞いたことがある。もとより、朝鮮人差別の方は、現に日々声高に、公然と話され書かれ続けている。
 差別は、日本人が「現在」作り出しつつある現在の事態である。などと、私などが書きはじめることではない。破綻のない<論述>が読ませるのではない。破綻や矛盾を含む<人間>が、ここで日本人と差別を語っている。この本を読まずして日本の「現在」を口にすることはできない、してはならない。
 恥ずかしいことに涙と共に本を閉じながらそう思いつつ、今日もただ西瓜を食べただけの私である。