か程に多き路用

 (承前)思わぬ回り道をしてしまいました。
 舞姫が妊娠させられて捨てられるのはフィクションですが、鴎外帰国の直後に若い女性が来日して森家と一悶着あったことは現実の出来事です。ご承知のように、小説「舞姫」は、その一悶着のイイワケだろうとされています。「嗚呼先生可憐なる西欧歌姫の純愛を得たるに一身を若き国家に捧げんと別離の途を引き受けたるは哀しき」といった具合に。けれども先生のアバターたる主人公は、悲惨な少女を捨てて帰れと忠告した相沢を世にまたとない「良友」だという一方、少女との出会いについては、最初から「悪因」といっています。悪因、悪しき因縁に「ひっかかった」というわけでしょうか。
 日付でいえば、1888年の7月5日にベルリンを発った鴎外は、7月29日マルセイユ港から帰国の船に乗り9月8日に横浜に着きますが、ブレーメンを発った女性の船旅は、出港が4日前で到着が4日後ですから、いかにも打ち合わせを思わせる符合です。
 けれども、もし万一打ち合わせて愛を貫くつもりであったとするなら、最大の障害は間違いなく「家」だということは、鴎外にはよくよく分かっていた筈です。だからこそ了解を得てから呼び寄せるより既成事実で突破する作戦に賭けたのだと、もしもそうだとするなら、何よりまず男は女を港に迎え、二人で「家」にぶつかるでしょう。けれども、女は港からノコノコ森家に出向き、「家」が女に応対説得して、男はほとんど隠れていていたようです。余りにも無策か余りにも卑怯でなければ、予期しない来日だったと思う他ありません。
 だとすれば、一体女性は、どうするつもり、どうなるつもりで、はるばる海を渡って来たのでしょうか。はるばるといっても、九州で別れたつもりの女性が新幹線で東京まで追って来たというようなケースとは桁が違います。何しろ飛行機もない時代に、はるか彼方のドイツから、実に1か月半もの長旅です。何より、くどいようですが、船賃はどうしたのでしょうか。
 熱心というか、そんなことに地道な研究をされた方が何人もおられるようで、主なモデルには、3名があがっているようです。一番年下は、仕立物師の娘でまだ15才。次が21才。一番上は、鴎外より年上の既婚者とのこと。そこまで調べられている以上、当時の船賃も分かっているのでしょうが、その3人の誰であったにせよ、若い女性が簡単に用意できる金額ではなかったのではないかと思われるのですが。いや、もちろんそういった研究書を手に取ったことはありませんので、その辺りの事情も明かされているのかもしれませんが、ともかく安い費用ではありません。
 舞姫の主人公も、芸者遊びが過ぎると免職になった際、直ぐ帰国するなら「路用を給す」が、留まるなら一切出さない、と脅されてビビります。
 もう一カ所、船賃が話題になる箇所があります。それはエリスが男に、どうしても帰国されるなら、私も「親と共に往かんは易けれど、か程に多き路用を何処よりか得ん」という場面です。私ひとりの「路用の金」なら、大臣が何とかしてくれるでしょうが、まさか母の船賃までは無理をいえないでしょう。だから母は、遠縁の家に身を寄せるといっています、と。これも泣かせる話ですね。
 またフィクションに戻って恐縮ですが、物語は、愛か立身か、私人か公人か、というジレンマ劇に巧みに仕立てられています。
 ジコチューだ痛快小説だなどとは無知冒涜も甚だしい。若い「個」と若い「国家」が直面しなければならなかったこのジレンマ劇こそ、この国の近代小説が、ひいてはこの国の近代が、要求せざるをえなかった必然的な通過点あるいは開始点の道標だったのであり、作家は、若き「近代」が要求するジレンマを、愛にのめり込むジコチューと公的状況に身を捧げるジコチューに引き裂かれる、ジコチュー氏のジコ悲劇として描いたのであり、余りにも哀れなエリスは余りにも大きなその裂け目を浮かび上がらせるためのフィクションだったのだ、とか何とか書けば、高橋先生なら落第点でも、普通の先生なら、及第点をもらえるかもしれません。
 ということで消されたのが、大事なジレンマを<あいまい化>するようなストーリーだったのでしょう。つまり、エリスを捨てないで立身帰国する、というあいまいな選択肢です。
 「相沢君から聞いたが、君は身軽に帰国できるらしいな」。「はい。帰国につきましては、もちろんいつなりと仰せの通りにいたします。ただ、実は私、こちらに言い交わした女性がおりまして」。「それは聞いていないぞ」。「申し訳けございません。相沢にきちんと話していなかった私の責任です。あるいは、薄々感づいていても、私のことを思って何も問わないでいてくれたのかもしれません」。「で、どうするつもりだ」。「もちろん、一切ご迷惑はお掛けいたしません。私は喜んでお供して帰国させていただきます。女性は、いずれ時期を見て呼び寄せられればと思ってはおりますが、でも、それも、閣下の仰せに従います」。「いや、別に、君の私生活に口を出すつもりはない。正直いって、君が私の息子なら、諦めろというかもしれんがな」。「申し訳けございません」。「いかしまあ、これからは、そういう時代が来るのかもしれんな。君、陸奥宗光を知っているだろう。あそこの息子も、外務省からイギリスへ行っておって女ができたらしい。すったもんだあるだろうが、結構強情な息子らしいから、そのうち押し切るかもしれん」。「でも、それは良家の女性でしょう。実は、私が言い交わした女は、恥ずかながら踊子でして」。「何をいっとる。大体陸奥の細君も新橋の芸妓あがりだ。いや、彼だけではない。たいていそうだ。実はワシも妻ではないが一人な」、てなことになってはまずいわけです。
 ということで、話はそんな方向にはゆかないのですが、万一、エリスが自ら渡日しようと思っても、親の葬式代にもことかく踊子の身、「か程に多き路用を何処よりか得ん」と、途方にくれる他なかったでしょう。
 となると、現実の世界に戻って、来日した女性の船賃は、誰が、何の目的で出したのでしょうか。示し合わせてのことではなく、思いがけない来日だったとすれば、女性は、(そんなことができるかどうか知りませんが)着後払いの約束で乗船してしまって、後から森家が払ったのでしょうか。
 それとも、まさかビスマルクが?(続く)