ふくしまは、元気です。

 TOKIOが桃を食べるふりをしているだけに見えるCMがあるそうですね。「ふくしまは、元気です。」というCM。
 TVでじかに見たわけではありませんが、動画をネットで見ると、「なるほど」です。(→「ざまあみやがれい」9月2日
 また、新聞にも全面広告が出たらしく、キャッチコピーに続く、次のコピーも読めます(→「秋場龍一のねごと」8月31日)。「福島の秋はにぎやかです。美しい自然、旬の食、伝統の祭りの数々。楽しくて、おいしくて、どこか懐かしい風景がここにはあります。山と海と人に恵まれた、日本のふるさと。福島は、あなたを待っています。」
 秋場氏はいわれます。「この広告のどこにも東京電力福島第一原発事故のこと〜など一切見当たらない。まるでチェルノブイリを超える原発事故などなかったような、平和で幸福で健康にあふれた紙面である。どうやら、大々的に「原発事故なんてなんでもないよ」「放射能なんてぜんぜん怖くないよ」キャンペーンを展開して、またあらたな「安全神話」に着手したようだ」。
 氏は、たまらず呼びかけます。「たとえば、コピーライターの君」、「このコピーがどんなに悪意に満ちたものか百も承知だろ」、「自分が持って生まれた文案センス、培った広告能力を悪魔に売り渡すなよ」、と。
 このCMの「悪意」とは、「にぎやかで」「美しい」「楽しくて」「おいしくて」「懐かしい」「恵まれた」ふくしまを売り込むことで、つまり原発事故に<触れずに>ふくしまをアピールすることで、「原発事故なんてなんでもないよ」という新たな「安全神話」メッセージを発していることにありますが、それだけではありません。
 私たちは、どんな災害地の人にも、それが避けられなかった天災であっても、避けられた人災であっても、元気になってほしいと願っています。そう願わない人はいないでしょう。「たとえば、コピーライターの君」は、そのことを「百も承知」していて、このコピーを作ったのでしょう。実際、プレゼンテーションでいったかもしれません。「・・・原発事故の被害者に元気になってほしいと願っていない人はいません。その善意の気持ちを、このコピーによって、原発事故なんかに「負けるな」→「気にするな」→「何でもないよ」という方向に誘導してゆきます」。
 もちろん「君」だけではありません。私は秋場氏のように業界を知る者では全くありませんが、こんな大きなキャンペーンなら、多くの人が何度も会議を重ねて、全ての点を検討したでしょう。巨額の費用の支払者がどこであろうと、その支払者に大金を出した大元のスポンサーがいます。CM制作に関わった人たちは、その大元スポンサーの意向に添うという、明確な意図を持って、このキャッチコピーを採用したのでしょう。
 けれども、「悪意」というのは、頭が回ることの別名ですから、おそらく、もっと先まであるのでしょう。・・・・・・「そうですか。あなた方は、被災地の人々は、ずっと、惨めに落ち込んでいないといけないというのですか。そうですか。頑張れと励ましてはいけないのですか。元気出せよといってはいけないのですか。ありがとう、元気出すよ、と答えちゃいけないのですか。わたしたちは元気です、といっちゃいけないのですか。・・・・・みなさん、お聞きの通りです。いつまでも事故にこだわっている連中は、実は復興させたくないのです。元気になることに反対しているのです。」
 福島は元気です。家に帰れなくても元気です。汚染なんか気にせずに、桃を食べて元気です。
 この国では、みんな、誰もが元気です。いじめられても元気です。過労死寸前でも元気です。クビになっても元気です。生活保護などなくても元気です。原発事故が起こってももちろん元気です。
 雨にも負けず風にも負けず、何があっても決して瞋(いか)らず、いつも静かに笑っています。喧嘩や訴訟があれば、つまらないからやめろといいます。何があっても、元気です。さういふものに、私たちはなりませう。南無安立行菩薩