『提督回想録』(抄訳の4)

 (承前) 気が付くと、二人の会話は、絵の話からドラマの話に移っていた。西洋近代の額縁演劇では観客は舞台空間を逆消失点から覗いていることになるので登場人物は視野の中に突然現れる、といった話は、士官学校で遠近法の勉強をしたので何となく分かったが、しかし、では Noh dance-drama(能)の舞台はどうかといった話になると、第一見たこともないから、お手上げである。日本の伝統的な dance-drama だと聞いているから、Geisha-girl が演じるのだろうか。ともかくダンサーは突然現れないでブリッジを渡って来るらしく、「あれは、絵でいうと例の雲か霞のようなものでしょうか。大体あのブリッジは、どことどこを繋いでいるのでしょうか」、などとスミス氏が聞いていた記憶があるが、しかしこれ以上はやめておこう。先に触れたエッセイでスミス氏自身が触れていないことを、間違えずに伝える自信はない。
 私は、二人を低いベンチに残して立ち上がり、庭らしい空間の方に歩いていった。「らしい」といったのは、そこにある石や草木が、人の手で「庭」としてアレンジされカットされたものであるのか自然に放置されたものであるのかが、分からなかったからである。しかし、少なくともそこは、大変清潔で静かな空間だった。私はそこに佇み、Maiko girl と「あいまいさ」について考えた。
 今これを書いている時点で振り返れば、当然、別の判断をしなければならないが、しかし、ある時代までは、海軍士官にとって、temporary wife(臨時妻=いわゆる現地妻)は、特に問題になるようなことではなかった。むしろ、休暇上陸の許可が出るや否や夜の港町に散ってゆく水兵達とは違い、士官たる者に相応しい女性との付き合い方だとされていたのである。そして、一定期間の寄港ないしは滞在に恵まれた士官たちが、その幸運を逃さなかったのは、とりわけ日本であった。可憐さと清楚さと従順さで、つまりどの点をとっても、日本の女性は世界一素晴らしいという評価が確立していたからである。後に知ったことだが、同じ頃、日本へ渡ろうとウラジオストクにいた A.チェーホフも、日本人娼婦と過ごした一夜の経験から、日本女性を絶賛している。
 とはいえ、われわれ若い士官たちの願いは、できればそういった職業女性ではなく、経験のない若い女性を臨時妻にしたいということであった。しかもそれは、可能らしいのだ。士官談話室で仕入れたノウハウによれば、臨時妻は、しかるべき Geisha house(置屋)で紹介派遣してもらえるのだが、特に希望すれば、娼婦経験のない女性も斡旋してもらえるらしい。つまり、そういった Geisha house では、事情ある町娘や村娘を(かなりの予約金を払って)自らの所属とし、Geisha girl または見習いの Maiko girl として、髪を結い着物を着せ作法を躾けて、斡旋するのだという。
 だが、問題は、その後にある。
 O.Morris が "A Maiko girl" で描いたのは、純情可憐な幼い女性を臨時妻にした外国軍人が、甘く短い愛の体験の後に直面した、少女の狂死という悲劇である。そしてまた、Morris 自身も、モデルとなった少女が、帰国した Morris を追って桑港まで来てしまうという厄介なトラブルに巻き込まれている。小説の内容と小説家の身に起こった出来事とは、表面的には大きく異なるが、根源は同じである。すなわち、少女妻は、ともに、「短期の愛」を「永遠の愛」と取り違えたのである。
 経験を積んだ娼婦なら、そういうことはないであろう。しかし、身分は Geisha girl や Maiko girl ではあっても、実際には社会経験の乏しい少女たちであれば、彼女らが純情にも「夫」の永遠の愛を信じたいという心情を抱くのは無理もない。だが、おそらく原因はもっと深い所にある。思うに、この国には、「契約」という考えが、まだ浸透していないのではなかろうか。可憐で純情な少女たちが、「短期契約の妻」という自らの境遇を自覚できないこともまた、日本の社会や文化を支配する「あいまいさ」によるのであろう。
 だが、そうだとすれば、可憐で無垢な少女を臨時妻にして、しかも、誤解から来る悲劇やトラブルを避ける道はないのだろうか。(続く)