アトはついてくる

 どんどん歯止めがはずれてゆく昨今ですが、昨日のニュースによれば、さらに政府は、アメリカから声がかかれば「世界中どこでも」戦争に参加することができるように、日米防衛協力のガイドラインを改訂する方針だそうですね。「周辺とはどこまでかなどとうるさいこというな「周辺」などという枠そのものを削除してしまえば文句なかろう」、ということなのでしょう。
 最近は、大抵の戦争がアメリカの手で始められたり拡大したりしているわけですが、おそらくあの国は、政治的にも経済的にも社会的にも、戦争がないとやってゆけない体質になってしまっているのでしょう。ということで不安を抱く人々もいるわけですが、それに対して、「いろいろ歯止めをしておりますので戦争に引きこまれるなどというようなことはありません」とか何とか、適当なことをいっていた筈です。ところがその舌の根も乾かぬうちに、地域限定という歯止めがはずされる始末。
 同じ昨日、「9条を保持する日本国民」がノーベル平和賞のトップ候補になっているらしいというどこかの予想(ただしあまり当たらない予想とのこと)が、小さいニュースになっていました。確かに、「9条をノーベル平和賞に」という運動があるようですが、この最大の歯止めも、だからこそ執拗な削除狙いの対象になっていること、ご承知の通りです。
 ・・・と書きましたが、本当の「歯止め」は法律のことばや、ましてや政府の見解などにあるのではありません。
 半藤一利氏の『ドキュメント、太平洋戦争への道』(PHP文庫)に、こういうエピソードがあります。「満州事変」寸前に開かれた陸軍の方針を聞く会で、緒方竹虎が、「満州国独立など・・・・・そんなことに、いまの若いものがついていくとは思えない」と、激しく軍部を批判したのだそうです。ちなみに、戦後自由党総裁さらに自民党の重鎮となる緒方ですが、当時は朝日の編集局長でした。それに対して、小磯国昭軍務局長は、平然とてこういい放ったといいます。
 「日本人は戦争が好きだから、火蓋を切ってしまえば、アトはついてくる」。
 で、ご承知のように、陸軍は謀略により「火蓋を切」り、すると案の定、人々は「アトをついて」戦争への道を熱狂して進みます。もちろん新聞も。
 そして・・・何百万人の命が失われ、「日本人」の「戦争好き」は、もうコリゴリとなったのでしょうか。
 「いまの若いものがついていくとは思えない」、いや「日本人は戦争が好きだから、火蓋を切ってしまえば、アトはついてくる」。
 東京五輪反対などといっていても、ワールドカップやオリンピックの火蓋が切られれば、「ニッポンチャチャチャオーレオレ」とあげて熱狂するように、世界のどこかで「何かが起これば」アトは熱狂してついてくる・・・・・と、誰かが密かに考えていてもおかしくありません。
 書き忘れましたが、陸軍が独断で「火蓋を切って」軍事侵略を進めたことが「自衛権の発動に外ならぬ」とされたことは、いうまでもありません。