「民主的」な罵りあい

 (承前)もちろん、「事実が二つある」という事態は、今に始まったことでは全くない。ただ、橋本健二氏がいうように、今や「格差社会」ではなく「階級社会」というべきであればこそ、「階級が異なれば事実が異なる」という原則が殊更目立つのであろうか。
 その上、以前の「論争」なるものは、「論壇」というコンテキストを共通基盤としながら、限られた「論者」たちが、先月の発語を今月罵り来月罵り返すというような、思えば悠長な活字戦争であったが、今は、罵りあいに超便利な、ネットというプラットフォームが用意されていて、キイを叩けば数秒で過激に罵ることができる。
 しかもこのプラットフォームは甚だ「民主的」であり、ネットカフェの住人でもませた中学生でも誰でもが、僅か数語だけで「識者」でも「マスゴミ」でも誰でもを罵れる。こうして、誰もが簡単に、炎上や「空気」の膨張への参加というリア充感を得られることになる。(続く)