事実もいろいろ空気もいろいろ

 (承前)。といっても、いつものように読み直しもしていないのだが、ちょっとまた横道。
 ほとんど自分で見聞きするだけの世界で暮らしている時代には、(もちろんその時代でも、あくまで「ほとんど」でしかないが)、例えば、互いに顔見知りの村人のほとんどが、鎮守の森に落雷があったというひとつの「事実」を共有して、ほとんど同じ不安に襲われたりもするだろう。しかし今は時代が時代で、事実も不安も空気も一つではない。
 例えば大方の人はアベ忖度の「空気」に困って何とかしたいと思っているようだが、当の本人は本人で、また彼にとっての「空気」に困っているかもしれない。
 「これだけ高い支持率が続いている一強の私が、これだけカイケンカイケンといっているのに、どうもカイケンに消極的な「空気」が世の中を覆っているようで、実に困ったものだ。それもそうだが、「空気」といえば、やっぱりデフレマインドだ。少子化による人不足のおかげで、非正規でもバイトでも、とにかく仕事はあるので失業率は低く、黒田日銀のおかげで、実体と無関係に株価は高止まり。ところが、さっぱり好況に転じない。法人税も下げ、為替も円安で輸出に有利、利子率も目いっぱい下げて資金調達に困ることはない。企業にとっていうことなしの筈なのに、設備投資と労賃に金をまわして経済の活性化をはかろうとせずに、金を内部に溜め込むばかり。国民も国民で、預金をしても全く増えないし物価が上がるなら金を使ってやろう、といった気にならずに、不安だからと節約と貯金にはげむだけ。折角のアベノミクスを阻む「マインド」という「空気」にはほとほと困ったものだ」、などと。
 いやあの人の面は、アホノミクスが破綻しても外交が失敗続きでも、「困った」りすることはないか。(続く)