「くに」の薄い「国」

 しかし、問題は国だといっても、その国は希薄になっている。あるいは、希薄化が国を浮上させている。
 因幡の「くに」は、鳥取藩となり鳥取県となっても、スタバがないことで因幡であり鳥取だったのだが、いまや砂場があってもスタバがあって、もはや因幡の「くに」も武蔵の「くに」もさして変わらない。
 もちろん、近代の「国」ネーションステートは、因幡のような「くに」の否定的統括によって成立するのだが、それでも、人々は「国」の背後に「くに」を見ている。もっといえば、「くに」の背後に「むら」を、さらには「いえ」を見ているのであって、愛「国」といっても、大和し麗し因幡し麗し、さらに白兎追いし彼の山麗しである。歌うのはラマルセイエーズであって、抽象的なラフランセーズではなく、二人の擲弾兵は「俺が死んだらフランスの地に埋めてくれ」と歌うが、おそらく彼は、できれば妻子のいる「郷里の地」を、父母の眠る「村の墓地」を想っているだろう。
 ところが今や、「土地」には、「いえ、むら、くに、国」という重層性を失いつつある。
 問題は国だといっても、その国は希薄になっている、書いたのはその意味である。