懐かしい未来のいま

 何を書こうと思ったのか忘れたが、近未来小説の「時代」のことだった気がする。
「バルーン・タウン」の小説は、第1話が92年で、後は93年に書かれている。つまり執筆時代は阪神淡路大震災のすこし前である。一方想定時代は、人工子宮がデフォルトとなり、女性が妊娠出産から解放されている時代、となっている。
 例えば、1948年のオーウェルは『1984』という[38年後の未来]を想定し、キューブリックは68年に『2001年』という[33年後の未来]を撮った。その68年にディックが書いた小説を基にリドリー・スコットが82年に撮った『ブレードランナー』の舞台は、もともと2020年つまり今年だったらしいのだが、事情で2019になっており、単純に計算すると[37年後の未来]都市である。
 もちろん、山ほどある「未来物」の未来設定など山ほどあるのだから、全く無意味かつ乱暴極まりないことなのだが、仮に、「近未来」は「35年前後だ」、ということにしてしまおう。すると、93年に書かれたバルーン・タウンの舞台は、2010年頃ということになる。(繰り返すが、全く無意味かつ乱暴な話である)。
 もちろん、2010年に、人工子宮装置の実用化によって女性が妊娠出産から解放された、なんてことはないが、それは全く問題ではない。それをいうなら、『2001』年の続編では、同じ2010年に木星が恒星となって地球上に夜がなくなっている筈である(米ソの冷戦解消というのは当たっているが (^o^)。
 SFなのだから、もっと荒唐無稽でも、奇想天外でも、そんなことは問題ではないが、面白かったのは、そんな「未来」でも、ポケベルが鳴って公衆電話に出るとか、妊婦にさえ喫煙者がいる、といったことである。いうならば、「懐かしい未来」とでもいうか。
 そういえば、確か『電気羊』の冒頭で主人公が報告書を「カーボン紙」を使って書く。読んだとき、「人と見分けられないアンドロイドがいる時代にカーボン複写かよ」と笑った記憶があるが、その後も消えず、契約書とか宅急便の伝票とか、カーボン(ではないのだろうが同様の)紙は今も現役である。