余りに異常な考え、余りに異常な行動

 やまゆり園事件の最終弁論で、弁護側が、「犯行は精神障害の影響による病的で異常な思考によるもの」だとして、「心神喪失による無罪」の判決を求めた、という。
 もちろん、どんな容疑者も弁護される権利があるし、弁護士が可能な限りの論を尽くして容疑者を弁護し、無罪にできる可能性があれば、それを主張することは、職務上当然のことである。無罪の主張を問題にしようというわけではない。
 ただ、短い新聞記事なので、もちろん全く正確ではないが、敢えて敷衍すると、弁論は、こういう組み立てだったように伝えられている。
 「考え」の異常性 ・・・重度障害者が社会的に「不要だ」と考えるのは、正常人でもありうるが、そこから「世界平和のために自分が殺す」という考えへの「変化」は、異常な「飛躍」であって、精神病の影響なくしてはありえない。
 「実行」の異常性 ・・・「殺すべきだ」と思っても、正常な心理では実行に移せるものではない。あのような殺人を実行したからには、精神状態の異常な「病的高揚」があった筈である。
 つまり、こういうことだろう。やや異常な思考や、やや異常な殺人行動は、もとより有罪である。しかし、正常人には想像できないような異常な考えの飛躍や、正常心理ではとうてい実行できないような異常な殺人行動は、その異常性ゆえに「病的」であり、病的であれば罪に問えない。
 かつて、フランスで、Sという日本人男性が、親しいフランス人女性を殺してその肉を食べた、という有名な事件があった。「普通」に殺しただけなら、もちろん重罪判決を受けたに違いない。だが、殺人食肉というのは余りに「異常」だとして、有罪とはならずに精神病院への入院措置がとられた。その後、S氏は病院でしばらく生活したが、異常性が認められず、退院して帰国した。
 もちろん、「少年A」のような未成年も含めて、「異常」とされる闇を抱えた人物と長期に亘って真摯に向合う(弁護士をはじめとする)人々を思えば、軽々と何かをいうことはできない。ただ、記事を読んだ雑感を記したのみである。