読まない本のタイトル 2

 オリンピック延期が公表されたとたんに、都内の感染者が連日急増し、都知事が感染爆発寸前と言い出した。巷では、「とたんにこれだもの」、と専らの噂である。五輪のために感染者数を抑える政治的作為があったのか、そうでないならウィルス様が自ら忖度して自制していて下さったのか。
 などと書いたが、オリンピックなどどうでもよい。「自粛」せざるをえないにしても、例えば、住み込みの職場で雇い止めを言い渡されて職も住も一挙に失ったシングルマザー・・・といった人たちが無数にいる筈だ。だから和牛券やお魚券を配るってか。それでも支持率は下がらず、首相夫人はお花見らしい。

 以下は、関係ない話である。
 昔、「バカの壁」という本がやたら売れたことがある。それを引き合いに出して、内田樹氏が少しうけに入っているようだ。あの養老先生には及ばないが、今度出した「サル化する世界」が私の本としては格段に売れたのは、やはりタイトルのせいだろう、と。
 もっとも既に「「サル化」する人間社会」という本が出ているし、「ケータイを持ったサル 」というのも結構売れた筈である。パクリといわれないまでも二匹目のドジョウと勘ぐられかねないが、おそらく内容は異なるから全く問題ないのであろう。(どれも読んでいないので申し訳ないが)。
 ところで、「サル化」というタイトル。別の本で「反治政主義」について言及しているところから見ても、「俺たちはヒトだが庶民はサルだ」などと単純なことをいっているのではなかろう。というより、多分現代の世相への鋭い批評になっていて、かなり共感や同意をもって読めるのだろう。それでも、「タイトルでうけた」というそのうけ方は、どうだったのだろうか。
 本屋でタイトルを見かけた者にとっては(買って読んだ者にとってもたぶん)、それらのタイトルは、「そうか、私たちはバカなのか、サル化しているのか」といった自省的な意味で読み取られるよりは、「そうだ、私の周りはみんな、どいつもこいちもバカなんだ、サル化しているんだ」、と読まれる率の方が高いのではなかろうか。
 たとえ筆者の意図とは大きく違っていたとしても(あるいは正反対であったとしても)、おそらく「タイトルで売れる」ということはそういうことであり、実際に売れたのだからおめでたい限りである。
 などと書いたが、内田氏の本も前置きで、上野千鶴子氏のタイトルのことを書くつもりだった。が、いつものようにまたここで中断。