読まない本のタイトル5

 そういえば昨年の東大入学式祝辞は流石だったが、最近は上野先生の本で「学ぶ」ことを全くしていないので、読んでもいない本のタイトルや身の上相談記事などだけで物言いをしてしまい、誠に申し訳ないことである。先生ご自身がこんなものを読まれる気遣いは全くないが、もしファンの方からケンカを申し込まれた場合には、直ちに謝ってしまうつもりである。元組員武闘派の方がケンカ場に臨む極意について書かれたものを読んだことがあるが、それによれば、最上策は「とにかく躱して逃げるべし」とのことだった。それにしても、このままコロナを躱し切ることができるのかどうか。「偽造、捏造、アベシンゾウ」(小笠原誠治)が怖い。

 さて、田房永子氏の本は、私は2冊しか読んだことがないが、うち一冊は、『男しか行けない場所に女が行ってきました』である。ごく簡単にいえば、エロ新聞に掲載するマンガのために、風俗産業の現場に行って見聞きしたことについてのルポである。手元にないので、内容には触れられないが、風俗産業に従業する人々、そこに寄生する風俗出版業界の人々、さらにそこに寄生する田房氏自身、という三層の<生活>を背景に、田房氏は、例えば風俗嬢に、仕事の現場で、どう感じどう感じないのか、何を思い何を思わず、何を考えまた考えないのか、を聞く。名著だという人がいるのも頷ける。
 上野氏のごくごく短い身の上相談回答と田房氏の一冊の本を比較するのは、もちろん不公平、乱暴きわまりない話であるが、それは重々承知の上で、身の上相談回答について注意しておいた2点を想起しつつ、田房本に触れる。
 身の上相談回答では、「私なら」どうなのかが分からなかったし、「女子生徒」にも同じ回答なのかどうか分からなかった。短い回答欄に言葉として書いていなかったということではなく、暗黙の言及が読み取れなかった、という意味である。(かなり前に読んだだけなので、記憶が間違っている可能性はなくはないが)。乱暴にいい換えれば、相談者の生徒もまた、衝動を抱えた中性の「ひとり」ともいえよう。
 一方田房氏は、自分の性をはっきりと語ることから始めている。それも特定性のない性衝動としてだけではなく特定的な関係性愛ととしても。その上で、タイトルにあるように、風俗店が「男しか行けない場所」であるのはどういうことなのか、そしてそこに「女(である私)が行った」ことで何が起こるのか起こらないのか、ということを、繰り返し問い、そして考える。
 私は「フェミニズム」がいかなるものかよく知らないが、それでも言ってよければ、田房氏が問いそして考えることこそ、活きている「フェミニズム」ではないのだろうか。
 それでも、あるいはそれゆえに、田房氏が、理屈としての「フェミニズム」についてゼロから学びたい、というのは分かる。それは分かるが、「先生、ゼロから教えてください」、といわれて、「よろしい、ゼロから教えてあげましょう」、と衒いもなくいった上野先生は、さすが東大の先生だ、ということもよく分かる。

 東大の先生はえらいという、ありふれたことが分かったというだけのことだが、そういえば、先に触れた京大の望月先生のABC問題の証明は、予想より早く受け入れられたようで、こちらの方は全く分からないながら、とにかくすごいことらしい。