隣人の消滅

 コロナが、様々な面で、人々の生活をなぎ倒してゆきつつあります。倒産と失業が広がり、たとえいつかコロナが収束しても、もとに戻ることはできないでしょう。というか、戻れないまま倒れる人を踏みつけて、株価がもとに戻った、GDPが戻った、売上が戻った・・・などなどとなってゆくのでしょう。
 それにしても、この間、zoom だ teams だ何々だなどと、コミュニケーション道具を使う(わざるをえない)事態が、驚異的に進んでいます。もちろん、この爆発的な使用で大儲けしている企業があるわけですが。例えば zoom には重大なセユリティ上の脆弱さがあるなどといわれても、使えといわれれば使う他ありません。
 それにしても、声と表情と身体シグナルだけが日常的なコミュニケーションの道具だった時代が何十万年と続き、何千年前から一部で文字が現れても、つい先日電話が現れても、それらは日常生活では補助でしかなかったのでしたが、いまや、デートらしい二人がそれぞれスマホを見ていても、しかも当の二人で line のやりとりをしているとしても、もはや当たり前の光景で話題にもなりません。リアでは「ひきこもり」とか「コミュ障」とかいわれる人が、むしろより多くの知人友人をもっていることもありうるわけで、流行りの「ソーシャルディスタンス」という語も、やがてリア空間を離れるでしょう。
 生活空間とは何をいうのか知りませんが、私のところでも、例えば「隣人」は、とっくの昔に消えています。