敗走記(3)

 例えば学問の自由といわれるものは、芸術表現の自由、信仰の自由などなどや、あるいは司法権の独立、ジャーナリズムの独立などと共に、経済活動の自由を基にして、権力支配への抵抗と戦いの歴史の中で記述されますが、しかし、「認めさせる」ことと「認められる」ことは、それほど単純には区別できません。アカデミーが王からも自由でありうるのはそれが王が認めたロイヤルな機関だからだ、といった倒錯も起こるわけです。

 こうして(と、面倒なので、乱暴に一足飛びですが)、わが国における「学問の自由」なる觀念も、帝国が帝国のために創設した「帝国大学」の権威と重なることで先ず確保されたのでした。
 それでも、豊かな(余裕のある)時代には、学問の自由でもジャーナリズムの独立でも、一定許容され、時には敬意さえ払われたのでしたが、しかし、いまや余裕がありません。いまこの国に生きて、不安を抱えた人々の多くは、だれであれ今の王というだけで、敗走の長征を導くモーゼと見る他ないようです。語彙も貧しい陰気なあの人自身も、まるで昔の王のつもりですが、だれであれ従うことしかできない多くの民びとは、従わない者に対する寛容もましてや敬意など持ちようもなく、どういう理由か聞く耳をもたずに、王に楯突く人々に不安からの怒りをぶつけることもあるでしょう。

 ・・・などと、部外者だから他人事として書いてもいられるわけですが、一方また、研究資金がないと死活問題、「同調するから金をくれ」、という人もいるでしょう。とにかく心貧しい時代です。