平成と沖縄

 (承前)もうひとつ。メタレベルの社会的機能を生身の人間に背負わせるのが問題なのは、せっかく象徴機能だけに切り替えたとしても、象徴的(非歴史的)機能と生身的(歴史的)存在は切り離せないということです。どうがんばっても昭和天皇には、当人としても国民から見ても、大元帥だった「昭和」前半の背後霊が消せませんでした。両氏が上皇に感激したのは、確かに当人夫妻が「機能を生きる」という矛盾を歩むよくできた人物だったからでしょうが、それができたのも「平成」だったからでしょう。いうならば「平成」はきれいだったわけです。
 同様に、空間的にも、明治以降の併合地、植民地、占領地、支配地、権益地などは、「昭和」が敗戦とともにまとめてサッパリと<処分>してくれました。「北方尖閣竹島」を除けば、内田氏らが「愛国」だという際のその「国」は、平成を通して安定しています。天皇が象徴としてまとめる国とはどこからどこまでか、総意で支える国民とは誰であり誰でないか、といったややこしい問題は考えなくてよかったわけです。
 そこでちょっと横道といえば横道なのですが、ある箇所で内田氏は、ミッドウェーで手ひどくやられた時点で、冷静に判断して戦争を「やめていればよかった」と、誠にもっともなことを書いています。その通りだと思いますが、そこで、こう続けているのです。もしその時点で「講和」が「奏功していれば」、その後の「大量の戦死者も本土空襲の死者も、広島、長崎の原爆の被害者も出さずに済んだ」、と。漏れている死者がいろいろあるのは仕方ないでしょうが、ここには沖縄の死者はあげられていません。琉球王国を潰してまだ年月が浅く、戦争では本土の防波堤として使い、戦後は本土独立と引き換えに差し出した沖縄。10回以上も沖縄を訪れた平成天皇は、「国」と「国民」の統合を象徴的に生きようとすれば、沖縄を「切り離さい」というメッセージが何より重要だということに、深く気付いていたのでしょう。もちろん内田氏は愛国者として、沖縄の国土を旧敵国基地に差し出したままで何が独立国か、と繰り返しいいますが、こんなところでサラッと沖縄(琉球)を切り離しています。
 ついでに内田氏の「もしも」は、あの時点でもしも「講和が奏功していれば」であって、「負けていれば」ではありません。もしもあの時点で「講和が奏功していれば」、他の地域はともかく、台湾と朝鮮はそのままだったでしょう。いつまでかは別にして、少なくとも「講和」の時点では。しかしその点も、触れずにサラッと流されています。
 確か聖火リレーの観客の話だったはずなのに、何だかおかしなところに来てしまいました。
 いずれにしても、実にあいまいな「国」なるものの統合を象徴するというメタレベルの(時空を超えた)社会的機能を、しかもこの世で(時空に縛られて)生きる。そんな無茶なことを「総意」で押し付けられて、両氏を感心させるほど見事に、考え抜いてそれを演じるアクターなんて、何代も続くわけはありません。たかが結婚することにも結婚に失敗することにも、山ほど執拗な誹謗中傷が投げつけられる。全く割に合わない残酷な話です。それでも制度が必要というのなら、期限を限って民営化する他ないでしょう。生前退位という前例は、そこまで見据えてた案だったのかもしれません。などということはないでしょうが。