させられてする

 しかし、これは別に難しい話ではありません。
 アメリカ人は、能動/受動だけの英語を使っているので、毎日何百何千と開かれてる法廷でも、「やった/やられた」という単純ガサツな議論をしているかというと、もちろんそうではないでしょう。カツアゲは、「脅されて渡す」と別動詞ですが、われわれ庶民はみんな、日々「働かされて働いている」と同じ動詞の両面です。

 その上、「明日までなんて無茶だよ、やってられないよ全く」とぼやいているので、「私が課長にいっておくから、サービス残業なんかやめて、帰ればいいよ」というと、「でもまあ、何とかやりますよ。この仕事嫌いじゃないし」というので、「やらされてるのじゃなく好きでやっているというのなら、何もいわないけど」というと、「いやいや命令されなきゃやりませんよ。でも好きでやってるとでも思わないと、やってられませんからね」というから、「まさにサービス搾取ね。やらされてるのに、自分からやってるという気持ちとは」というと、「自分からやっているというより、自分からやっていると思おうとしている、ということかな」とか、・・・まあそんな具合に暮らしているのが庶民の世界です。(短いけど眠い)