気候変動と資本主義 

 太田サトルという人が、先日、雑誌にこんなことを書いていました。「売れてるよね。でもアレって打ち込みでしょ、ロックじゃないじゃん。~」・・・シニア世代のロックファンの皆さま、ついつい若者にこんなこと、してませんでしょうか。これらは、もしかしたら“ロック・ハラスメント”なのかもしれません。」

 先日の新聞に、著者大写しで、カラー全頁広告が出たのには驚きました。斎藤幸平氏の『人新世の「資本論」』、という本はまだまだ売れる、と集英社は踏んでいるのでしょう。先日吉田裕氏の『日本軍兵士-アジア・太平洋戦争の現実』という労作を読みましたが、これは19年度の新書大賞で、『人新生の~』は「21年度新書大賞」とカバーに大きく書かれています。前に買ってあったのですが、そのままになっていたところ、先日それを話題に取り上げるオンライン会があったので、読んでみました。感想を一言でいえば、「悪くいわない方がよい本」、でしょうか。
 新聞広告には「資本主義が犯人だ」「資本主義にさよならを」とあり、本のタイトルには「資本論」が、本の中にはマルクスが出て来ます。つまり、そういう本なのですが、しかし、昔からの社会主義共産主義の臭いはしません。

 「資本主義の際限なき利潤追求を止めなければならない」。斎藤氏の言葉に同感の人は、3.5%(それだけいれば何とかなると斎藤氏はいいます)以上はいるでしょうが、これまでは、専ら、貧困や搾取やまた支配や差別など、社会構造的な<犯罪>が告発アピールされてきました。しかし斎藤氏のアピールは、とにもかくにも気候変動が前面です。「地球も人も壊される。気候変動もコロナ禍も、資本主義が犯人だ」。「未曽有の気候変動は、資本主義の成長によってこそもたらされたものであり、持続可能な経済成長などありえない」。
 ということで、「唯一の解決策」は「脱成長コミュニズム」だ、というのですが、といっても貧しくなるのではなく。むしろ「脱成長」は(こそ)「潤沢」だといいいます。さしあたりどう潤沢かは置くとして、いずれにせよ、「資本主義にさよならを」して「脱成長コミュニズム」に変えてしまおうという大転換は、誰がどのようにして実現するのでしょうか。

 昔からの(経済的)搾取と(政治的)支配の告発は、<搾取され支配される>人々が主体となって国家権力を奪取し、搾取システムを解体してゆくという、政治主導プログラムに続いていました。ただ、そのようなプログラムは、少なくとも今のところは、「成長」著しい強権「国家資本主義」国家を生み出したままだし、その他いろいろあって、ほとんど人気がありません。
 それに対して、斎藤氏は、国家主導も政治先行も否定し、変革主体も特定の階級などではなく、普通の人々に期待します。ただこれまでも、国家からも市場からも独立した、自治的で相互扶助的な生活共同体やそれを目指す運動は、山ほど試みられてきましたが、それら多様なコミューン的試行は、特に参照に値しないようで、もっと普通の人々、コモンピープルによる、もっとスマートでオープンで日常的な試みや運動に期待がかけられます。例えば地域共営インフラ事業とか地産地消のコープ運動とか、その他いろいろ。
 確かに、家や仕事もない人たちや食べる物がない子どもたちこそは資本主義の一番の犠牲者でしょうが、普通コモンの人々にとっては正直いって「他人事」です。その点、気候変動や環境破壊は、誰にとっても他人事ではないでしょう。先日の「ロンドン時事」ニュースによれば、英バース大などが世界10カ国の若者に調査したところ、90%以上が、気候変動問題と地球の未来に不安を抱いているということです。

 といっても、「地球にやさしい、気候にやさしい」生活は高くつきますので、私なども「SDGs」に共感して(騙されて?)、ソーラーハウスに改築して、日曜日には買い替えたEV車で家族そろって無農薬農家交流会に行ったりします(私というのはウソですが)
 そういうと、家をエコにリフォームしたり車をクリーンに買い替えたりするのは、資本主義の延命に手を貸すことではないかなどと、了見の狭いことをいう人が必ずいますが、そんなことをいえば、集英社が数千万、もしかすると億を越える金をかけて新聞に全頁広告を出すことを了承するのは、それ以上の儲けを見込む出版資本に手を貸したことになってしまいます。それはハラスメントというものでしょう。
 「ブームといわれるほど売れる本は、決して大衆に、自分の価値観を否定されたと思わせる内容のものではない」(江種満子)。もしそうなら、この本は、「90%以上が、気候変動問題と地球の未来に不安を抱いて」いるという「価値観」あるいは「価値危機感」に乗って売れているのでしょう。そうした多数派を、集英社の力も借りて、「資本主義批判」に誘導することができるかどうか。「売れてるね。これってあれでしょ」なんてことはいわずに、期待して待ちましょう。