「ふさわしい」結婚

 秋篠宮家の長女は何とか結婚できたが、週刊誌に火をつけられ執拗に続いてきた攻撃はやむのかどうか。しかし、どんなヘイトスピーチの類にも、その背後には、彼らを正当化する<権威>がいる。
 例えば保阪正康氏はいう。「皇室の人たち」には、「世間一般と同じ自由」、「一般社会の価値観」を持つことは認められない。「皇室のイメージを悪くする事態があってはなるまい」。一方、内田樹、白井健両氏は、とりわけ上皇夫妻は、人格も見識も誠に「ふさわしい」と絶賛し、天皇制そのものを称賛する。         
 「彼女は女らしい」と称賛したり、「女は女らしくなければならない」といったりするのをハラスメントというのなら、「彼らは皇族にふさわしい」「皇族は皇族らしくなければならない」というのも同じだ。生まれながらの性のあり様が選べないように、生まれながらの皇族は選べない。
 ただ、違いはある。皇族は<制度>の産物だ。「一般社会」の「価値観」も「自由」も認めないといった深刻な<いじめ>によって、皇族の女性に次々と精神疾患を強いるような制度は、いずれそれほど遠くない時期に、行き詰まる。そう見れば、攻撃やいじめもまた、意図とは正反対か意図的なのかは別として、制度の維持を難しくして行き詰まらせる、その一歩になっている。