暴力はいけない(2)

 しかし、まだ、ひろゆき氏は間違っていた、ということになる可能性が、僅かでも残っているかもしれない。評論家諸氏は、自分たちの発言がただの口先だけのものではないということを、実証するかもしれない。「言論の力が暴力に勝る」ということを実証しなければ、ひろゆき氏が正しかったことになる。
 それにしても、犯人は、許すことのできないその暴力で、何をしようとしたのか。おおよそ、こんなことのようだ。「統一教会に人生を狂わせられたので、報復しようと、教団に関係の深い元首相を狙った」、と。
 暴力はいけない。糺したいことがあるなら、暴力によらず言論で糺すべきだ、とマスコミや評論家諸氏が言うのは全く正しい。
 事件が起こってからマスコミは、統一教会がどんな団体で、どんなことをしてきたかということを、多少は報道しつつある。しかし、まだ、ほとんど取り上げてはいないこと、このまま終われば隠蔽ということになってしまうことがある。
 犯人は、教団ではなくなぜ元首相を狙ったのか。元首相と統一教会が切り離すことのできない深い関係にあるみたからだ。違っているのかいないのか。
 暴力はいけない。いかに教団に人生を狂わせられたとしても、教団と元首相に深い関係があると思ったとしても、暴力で糺すのは間違っている。あくまで言論で糺すべきだ。祖父岸信介元首相が統一教会と共に反共政治団体国際勝共連合」を日本に設立させ、安倍元首相も教団との深い関係を隠していない。その実態はどうなのか。犯人が許すべからざる暴力という手段で糺そうとしたのは、間違っている。そういう以上は、言論の力をみせつけないといけない。口先だけではないかというひろゆき氏をやり込めるためには、言論の力で、教団と元首相や与党との関係の実相を、徹底的に究明し報道してゆくことが求められる。
 山崎雅弘氏は、安倍国葬で何が起こるかを予言している。「生前の不正疑惑がすべてチャラになり、主要メディアは追及も検証もしなくなる(あるいは追及しない大義名分を得る)。『国民全体が敬愛した指導者』という虚構が創られる。批判的論評は主要メディアの自主検閲で封じられる。自民党統一教会の癒着もウヤムヤで幕引き」になる、と。 
 ひろゆき氏といい山崎氏といい、けしからんことではないか。いまこそマスコミや評論家諸氏は、暴力的糾弾を否定して、言論的究明の力を見せつけるべきである。評論家諸氏とマスコミの今後の仕事を、刮目してむなしく待つとしよう。