暴力はいけない

 しかし「言論」は、「暴力はいかん」などと、説教口調で威張っている場合じゃないだろう。
 かつてあれほど世間を騒がせた(旧)統一教会による社会問題は、「空白の30年」といわれるほど、「言論」世界から消えていた。やはり「忖度」が効いていたのか、「言論」は沈黙したままだった。
 ところが、事件をきっかけに、状況が変わった。なお続く教団による社会問題と、教団と自民党や元首相との深い関係が、浮上してきた。
 暴力はいけない。といったところで、このままでは、結果として、「暴力」が身を挺して「言論」を覚醒させた・・・ということになってしまう。困ったことではないか。
 「言論」の逆転勝利がなるかどうか。暴力はいけないといった見出し語ではなく、「言論の力」が「暴力の力」より断然深く事態を究明し暴露し批判できるし、またするのだ、ということを見せつけなければならない。 のだが・・・国葬に沈黙している「言論」には、ない物ねだりということなのだろう。