知らなかったこと二つ・・・原発、軍歌

 世の中には知らないことが無数にあるが、最近知って驚いたことがある。もちろん、知っている人は知っていたわけで、私が無知だったということなのだが。それにしても知らなかった。
(1)
 能登半島地震の被害と救済復旧の見通しについては、日を追ってますますその深刻さが深まるばかりだが、志賀原発もまた、思わぬ複数の深刻なダメージを受けたという、
 「思わぬ」というのは、地震の強度が想定内であったにもかかわらず予期しない故障に見舞われた、という意味である。「想定内」だのに「予期しない」、何だそれは。いずれにしても、「想定外」どころか、「想定内」の対策さえできていなかったのである。
 ここまでは、ニュースで知っていた。
 しかし、知らなかった。   

 知らなかったのは、原発の耐震基準は民間住宅より遥かに低い、ということである。
 辻野晃一郎氏のメルマガ紹介記事 によると、「大きな被害を受けた志賀原発の変圧器については、500ガルの揺れにまで耐えられる仕様だったそうですが、今回の志賀原発原子炉直下で計測された加速度は399ガルでした。仕様範囲内でも壊れたのです。」「そもそも、我々一般国民は、原発の耐震性は厳しく定められていると思い込んでいます。実際に政府も、「日本の原発の安全性は世界最高水準」と説明しています。」「しかし、実はここにも嘘があります。」「日本の原発の耐震基準は概ね1,000ガル以下で設計されています。東日本大震災の最大の揺れが2,933ガル、今回の能登地震でも、~ 震度7を観測した志賀町の富来地区で2,800ガルを記録しています。][今世紀だけでも、1,000ガル以上の揺れを記録した地震は全部で20回ほどあるそうで、年平均1回弱の頻度です。]
  「民間の住宅メーカーでも、例えば 三井ホームが売りにしている耐震性は最大5,115ガル 、 住友林業は3,406ガル です。すなわち、原発の耐震基準は民間住宅よりも遥かに低いのです。」
 知らなかった。
 断層が縦横に走る地震多発国で、原発の耐震基準が民間住宅よりはるかに低いとは。

(2)
 Youtubeで「六甲おろし風インターナショナル」が面白かった「Jazz Dan Hitori」氏が、「メーデー歌(聞け万国の労働者)」の Jazz アレンジをUPされた。 
 この歌は軍歌の替え歌で、感慨を持つ人も少なくないようだ。「 戦後になって、メーデーのデモ行進で、♪聞け万国の労働者、轟き渡るメーデーの♪というのを聞いていると♪萬朶(ばんだ)の櫻か襟の色 花は吉野に嵐吹く♪(歩兵の歌)の替え歌でした。」「どうして労働歌に変ってしまったのか。そう、あの頃は、軍隊帰りが組合運動の中心でしたなあ。デモ行進も大きな赤旗を何本も掲げて、ワッショイ ワッショイとジグザグを繰り返したりしてすごい迫力がありました。」(自衛隊の行進曲に思う) 
 また、「戦後のメーデーで必ず歌うメーデー歌に「聞け万国の労働者」がある。」「虫唾が走るほど嫌いになったはずの「歩兵の本領」とメロディーが同一である。」「聞け万国の労働者~」「このほかに歌詞を変えて運動会の応援歌に使われている。戦後を引きずった日本人の鈍感ぶりを示す好例ではなかろうか。」(五月一日に思う
 替え歌というのは、無数にバージョンが広がるので、「散兵線の花と散れ」も往時から「進軍進軍また進軍、敵弾轟く所まで ~ 突撃隊の花と散れ」となったり、戦後にも「~対抗戦の花と散れ」となったりするのだが、ただ、今引用した方々は、<戦前>の軍歌<戦後>の労働歌、という構図で書かれている。
 しかし、いわゆるメーデー歌そのものは、ずっと昔、大正時代から歌い継がれた歌で、と思って、改めてwikipediaで「歩兵の本領」を検索してみると・・・知らなかった。もっと古かった。
 1922年の第3回メーデーで「聞け万国の」と歌詞がつけられたメーデー歌の原曲は、最近の研究では、1911年の「歩兵の本領」よりさらに古く、1901年、いやもっと1899年の曲にまで遡るとのこと。詳しくはwikiを見て頂きたいが、知らなかった。