2018-05-01から1ヶ月間の記事一覧

 アジアあるいは義侠について37:英機感激

◯ 「カントールは不幸な「革命」家であった。〜(集合論は)「革命」と「自由」をもたらすはずだったし、最後までそう信じていた。だがもたらされたのは、深刻な矛盾であり、「自由のジレンマ」であったのだ。〜「自由」は手に入れた瞬間、自由ではなくなる…

 アジアあるいは義侠について36:全員オシオキよ 

こう長くなると前の方は全く霧の彼方ですが、あちこち彷徨っているうちに、いつの間にか西郷どんにまで言いがかりをつけていて、ファンの方々には申し訳けありません。何度も書いていますが、言いがかり、揚げ足取り、中学生レベルと承知していますので、お…

 アジアあるいは義侠について35:一君万民

松下幸之助『指導者の条件』という本には、「指導者は〜謙虚でありたい」など、立派な自戒のことばが書かれているそうですね。 昨日、西郷『遺訓』の、「廟堂に立ちて大政を成すは」という書き出しに触れました。それを、松下と同じように、西郷が自分(たち…

 アジアあるいは義侠について34:大政を成す

寝る前に半分朦朧とした頭で書く日記になってしまい、一体何を書いているのか分からなくなっています。いつもいうように前のものを読み返さないのは、面倒だからだけでなく、読み返すと必ず矛盾に気付いてしまうだろうからで、大体、この西郷の話も、どうい…

 アジアあるいは義侠について33:出兵制圧

何のために? 「征韓」というときの「征」とは、「軍を送って武力で制圧する」という意味です。西郷は「征韓論者」でなかった」というのは、「即時出兵して制圧すべし」という考えでないのはもちろん、「自分が行って断られるか殺されるかするからそこで堂々…

 アジアあるいは義侠について32:失敗と目的

第二点。[説得]は成功するか/失敗するか。そして、失敗した場合には[何もしない]で引き下がるのか/それとも[アタック]に向かうのか。どちらでしょうか。 ●板垣は 、 西郷は説得に失敗し、出兵することになると<期待> ●大久保らは、西郷は説得に失…

 アジアあるいは義侠について31:政治家西郷

実際の1873(明6)年の状況は二転三転、しかもあれこれ策謀が入り組んでややこしいようですが、先ずそこを無理に、単純な図式にしてみましょう。無理は承知ですので、細かいことはいわないでください。 大久保「山積する内政を優先すべし」・・・[何もしな…

 アジアあるいは義侠について30:三択

西郷のことなど書くつもりは全くなかったのですが、西郷という人は、多くの人を魅了する、スケールの大きい人格者だったというのは確かなことなのでしょう。個人的に悪くいうつもりはありません。というか、知らないし。あくまで雑談の流れで登場してもらっ…

 アジアあるいは義侠について28:天子の連帯

修行が全くできておらず、失礼な言いがかり雑言を繰り返すだけの私などとは違って、中島氏は誰にも優しく、葦津についても、鶴見俊輔とも交流を続け左翼とも議論できる広い知性の持ち主と評価し、「王道インターナショナル」論の「危険性」についても、葦津…

 アジアあるいは義侠について27:固陋

(C)「このようなインターナショナル仁政主義、王道思想の教養のつよい影響下にあった明治日本人が〜」 曖昧にされていますが、この「明治日本人」の代表はもちろん西郷です。その代表的「明治日本人」西郷は、古代孔孟の「仁政主義、王道思想」という政治…

 アジアあるいは義侠について26:御稜威は遍く宇内に及ぶ

後は分かっていますので、葦津とかいう論客などに、いや失礼、葦津という論客に、これ以上付き合う義理はないのですが、どうせ遊びですから、一応葦津文の続きを見ておきましょう。 (C)「このようなインターナショナル仁政主義、王道思想の教養のつよい影…

 アジアあるいは義侠について25:座布団三枚!

他にしないといけないことがあると逃避でここに・・・まずい状態ですが、乗りかかった船ということで、つまらぬ駄文をお許しください。 さて(承前)、ともかく、中島氏の引用部分(中島p.80〜)で葦津がいっていることを、整理して紹介しましょう。もちろん…

 アジアあるいは義侠について24:お気の毒

それにしても、天皇制というのは大変お気の毒な制度です。中学校では日本国憲法の3原則は基本的人権の尊重と国民主権と平和主義だと習いましたが、本当ですかね。職業選択の自由なく思想表現の自由なく参政権なく居住の自由なく恋愛の自由もなく、何もかも…

 アジアあるいは義侠について23:絶対矛盾

京都学派といっても、いろいろな人やグループがいて、中には超国家主義者とでも呼びたい人ももちろんいますが、しかしまた、戦争という時局に多少は、あるいは相当力を入れて、抵抗しようと思った人やグループもいたようです。しかし例えば、海軍国際派に働…

 アジアあるいは義侠について22:アジアはひとつ?

前にも同様なことを書いたような気がするのですが・・・ 中島氏の大著の終盤(p.583-4)を引用してみましょう。〜部分を省略していますが、骨格はこうです。 [中島p.583] ヨーロッパはキリスト教という「精神的統一」を獲得したことによって「一つの世界」…

 アジアあるいは義侠について21:国のかたち

先ず「多」です。 「アジアは民族的固有性において、なかんずくその文化において多様である」(松本)。「多」あるいは「多様」というのは、全てが混沌と入り混じっているのではありません(そうなれば「一」になってしまいます)。「多」とは、それぞれ<異…

 アジアあるいは義侠について20:アジア共生

先回りしていっておきますが、松本の(『竹内好「日本のアジア主義」精読』の限りでの)結論は、全く異論ありません。 竹内はないというが、実態的な「アジア的価値」がなくはない。「民主」といった「西洋的な優れた価値」を「愛」によって「包み直す」とき…

 アジアあるいは義侠について19:原理としてのアジア

そこで前に書いていたことを思い出さないといけないのですが、どうせろくなことしか書いていませんし、面倒なので、読み返しません。以下、つながるかつながらないか分かりませんが、悪しからずお許し下さい。 さて、松本健一は、自分が以前書いたものを引用…

 アジアあるいは義侠について18:

連休だのに軽い風邪を引き、人出の中に外出する気もせず、結局、つまらぬことをダラダラ書いてしまいました。といいながらくり返しますが、最近は、戊辰戦争は行き過ぎであったという見方が多くなってきましたが、それでもとにかく倒幕による変革は「夜明け…

 アジアあるいは義侠について17:靖国

読み返したりもしていませんので、誤りもあり矛盾もあるでしょうが、責任はとれませんので悪しからずお許しください。たまたま竹内好が最後に引き合いに出していましたので、少し西郷に付き合い過ぎました。 といいながら、横道をもひとつだけ。 来年の靖国…

 アジアあるいは義侠について16:琉球処分

いや、自問するということだけでいえば、私は西郷のことなど全く知りませんが、多分それはあったでしょう。なければただの馬鹿ですからね。戊辰戦争中も、征韓論に破れたときも、あっさり薩摩に帰ってしまったらしいのは、自らについて自問するところがあっ…