万博開くも恥、やめるも恥

 ついに国のトップ岸田首相が、また事実上の維新のトップ橋下氏が、予定通り万博を開くとしながらも、延期の可能性にも触れた発言をした。いわゆる24年問題が4月に迫る中、もしかすると、震災復興の妨害回避を渡りの船に、延期決定があるかもしれない。

 しかし、延期しようが開催しようが、大阪万博は成功しない。万博つまり「万国博覧会」なるものが、いや大体「博覧会」なるものが、もはや時代遅れの代物だからである。
 「見たこともないモノ」を万国から博(ひろ)く集めて観覧に供するというのは、昔は大いに流行った大規模見世物興行である。しかし今や、見たければ行けるし、行かなくても見られる。もはや「見たこともないモノ」なんてない。
 大阪万博の目玉の一つ「空飛ぶ車」にしても、会場と近隣地の間をタクシーのように行き交うという当初の大風呂敷は論外として、たとえ試作機が飛んだとしても、大型のヘリやドローンやはてはオスプレイまで見せられた眼には、「驚くべきモノ」「一目見たいモノ」ではない。

 代わりに最近喧伝されているのは、5メートルあたり1億円という巨額の金をかけて造りつつある円形回廊である。とはいえ、「空飛ぶ車」の代わりの看板なら「動く歩道」かといえば、そんなことはない。全長2キロ、ただの歩道である。

 1900年のパリ万博では、全長3.5キロの「動く回廊」が紳士淑女の評判を集めた。

 動く歩道は全線高架で、地上からの高さは三~八メートル。ほぼ建物の二階の高さでだった。全幅四メートルで三層に分かれていて、いちばん外側の幅一・一メートルの部分(静止盤)は固定されていて動かない。真ん中の幅九十センチの部分(緩動盤)は時速四キロ、一番内側の幅二メートルの部分(急動盤)が時速八キロで回っていた。」「高架になっている静止盤への登り口は十一か所あって」「利用客は静止盤からまず緩動盤に乗り込み、次いで急動盤に飛び移れば、三・五キロのコースをほぼ二十五分で一周することができた。」(山本順二『漱石のパリ日記』彩流社2013) 

 津田雅之氏が貴重な動画を上げておられるので、埋め込ませて頂く。

 1900年のパリ万博では全長3.5キロの3層の「動く歩道」。
   120年後の大阪万博は、釘やボルトも使った伝統木造建築もどきといっても、全長2キロの「ただの歩道」。

 だれがそれを「一目見たい」だろうか。