2013-04-01から1ヶ月間の記事一覧

 漱石 1911年の頃 17:戦争と併合2

前回のは、ちょっと失敗ですね。「戦争と併合」という括りにしたのを忘れて、後半「ism」の話に行ってしまいました。横道すぎますので、カットして後にまわします。 ということで、前回の前半に戻ります。開戦時には世間の好戦気分に乗っていた漱石も、大量…

 漱石 1911年の頃 16:戦争と併合1

ちょっと立ち止まっています。面倒になってきた、ということでもありますが(^o^)。 漱石の研究者でも何でもありませんので、どうせ話半分でお読み頂いていると思いますが、もし真面目な研究者やファンの方々がお読みになれば、おそらくお叱りを受けるでしょ…

 漱石 1911年の頃 15:是公と三山3

「アチッ、火傷するじゃないかっ」「でも今日のお茶は、ぬるう御座いませんでしょう」「いやあ先生、こりゃまた一本取られましたでげすな。でも、過ぎたるは何とか、文学も同じでげしょう」「そういう貴君の前月号は何だい、ねえ先生」・・・「ヌルいといえ…

 漱石 1911年の頃 14:是公と三山2

天子の命ぞ、吾が讐撃つは、 / 臣民の分ぞ、遠く赴く。 百里を行けど、敢えて帰らず、 / 千里二千里、勝つことを期す。 粲たる七斗は、御空のあなた、 / 傲る吾讐、北方にあり。 戦やまん、吾武揚がらん、 / 傲る吾讐、茲に亡びん。 瑞穂の国に、瑞穂の…

 漱石 1911年の頃 13:是公と三山1

最近は、このブログに似合わぬ真面目風??で、読んで下さっている方々にとっても、面白くはないでしょうが、私自身も飽きてきました。多分そのうち放棄するかもしれませんが、もう少しは続けます。 さて、漱石にとって大逆事件とは、ということですが、しか…

 漱石 1911年の頃 12:清朝と南朝3

余計な流れで恐縮ですが、もう少しだけお付き合いを願います。 前回の挿絵は04年のものですが、ちょうどここで問題にしている頃、つまり10-12年に、尋常小学修身書が改訂されます。で、その第二次国定教科書の挿絵(今回の上図)を見てください。ほとんど同…

 漱石 1911年の頃 11:清朝と南朝2

その前に、なぜ南朝が強調されるのでしょうか。 いい加減な与太話ですが・・・帝国主義列強に戦く時代から伍する時代へ。天皇はもはや国内を鎮めるべく座っているだけではなく、いまや帝国軍を率いて世界に押し出そうという帝国神君に変貌してゆかねばならず…

 漱石 1911年の頃 10:清朝と南朝1

元の道といっても、そんなものはもともとないのですが、ともかく、辛亥革命のニュースを前にして、仏蘭西共和革命を対岸に見る英吉利王党派の不安を思う、という話でした。 今は昔、昭和天皇重態に際しても、国民に謹慎を強要するのはおかしいという声が上が…

 漱石 1911年の頃 9:栄誉賞と博士号3

乗りかかった船で、第3です。 例えば文芸委員会に対する批判は、もちろん先ず、制度を作った文部当局に向かけられ、さらには、その手先になって政府の威を借りようという文芸委員に向けられます。けれども漱石は、一般文芸家も、さらには一般読者も見逃しま…

 漱石 1911年の頃 8:栄誉賞と博士号2

文部省にも関りのある親友狩野享吉は、漱石が頑なになったのは行き違いからだという主旨のことをいっています。確かに、入院中に突然、「博士号をやるから明日10時に文部省に出頭せよ。または代理人を寄こせ」といってくるとは、傲慢甚だしい態度です。その…

 漱石 1911年の頃 7:栄誉賞と博士号1

最初1日付け読売新聞の見出しで見たので、品のないエイプリルフール記事だと失笑したのですが、何とホントだったとは。松井長島の栄誉賞のことです。というわけで、ちょっと横道。 今回の巨人ペア授賞については、裏で例のボスが動いていたのかどうかは分か…

 漱石 1911年の頃 6:事件と革命3

なぜ漱石は、大逆事件ゆかりの田辺や新宮にまわろうとはせず、高野山から伊勢にまわる観光コースを選んだのでしょうか。そう書いたのですが、書いたとたんに、当時の交通事情の話が必要になることに気付きます。これは結構小さくない問題ですが、見通しなく…