2016-01-01から1年間の記事一覧

 グローバル帝国主義−EU官僚はファーストクラスに乗るか

かつて、世界大戦前に、「不安の哲学」なるものが世界的に流行したことがあります。いまの「哲学」には、もはや「流行する力」もないようですが、そういえば哲学だけでなく、島田裕巳氏によれば『宗教消滅』が世界的な趨勢だそうで、前回触れた『シャルリと…

 寛容の非寛容

イギリスの投票日である。 コービンが窮地に立っている、とブレイディみかこ氏が伝えている。 彼は、EO残留が労働者を守ることになると主張するのだが、「そんなことをいうが、ギリシャをはじめ、EU内ではすごい失業率じゃないか」、と反論される。「生…

 三木清:獄死前後2−3 

このあたりのことについては、自由法曹団の梨木弁護士の回想に詳しい(→「大原社会問題研究所雑誌」証言:日本の社会運動)。すなわち、三木の死を知った梨木氏は、「一計をめぐらして」ギランらに知らせ、隠されていた政治犯の探索を「依頼し」、結果、徳球…

 三木清:獄死前後2−2

(承前)「ここからが本番である」などと書きながら、1か月以上中断してしまった。その間に、予期せぬ活断層が動き、熊本の方々が大変な事態に直面している。だが、地震被害者への支援の輪が広がる一方、地震列島で老朽原発をも稼働させてゆく政府への支持率…

 三木清:獄死前後2−1

さて、長々と余計なことにこだわってしまったが、ある意味ここからが本番である。番号を「2−1」に改めて次に進む。 これまでは三木宅周辺に視点を置いてみてきたが、次に、新聞の見出しにズームアウトして整理してみると、ごく小さい三木清の死亡記事の後…

 三木清:獄死前後13

さて、少し先に進み過ぎたので後に戻るが、その前に、思いついてWikipediaの「三木清」の当該個所を参照してみた。以下がそれである。 これまで、細かいことにこだわりながら「どうでもよいことだが」と、その都度断って来たが、起こったことは、基本的には…

 三木清:獄死前後12

どうでもよい話ながら、あるいは、こういうことかもしれない。 代々の土地に住む人とは異なり、三木家のように東京に出た人の場合、そして時代も合わせると、どのようなことが考えられるか。全く不案内ながら、その年のカレンダーによれば水曜日である26日の…

 三木清:獄死前後11

無駄に細かいことをもう少し。 三木の死亡記事が、4日後の30日に出るのだが、新聞社は三木の獄死をどこから知ったのだろうか。いずれにせよしかし、「告別式は三日午前十時から〜自宅で」とあるのは、遺宅の誰か、または東畑からの情報だろう。 ということ…

 三木清:獄死前後10

早速訂正である。留守を預かった野上彰は、しかし多分住んでいたのではないだろうと書いたが、そうではなかったかもしれない。留守宅に葉書を出したという証言があることを忘れていた。現物も残っていないようだし、ではどのようにして出したのか、いつ出し…

 三木清:獄死前後9

少し遡らなければならない。細かい詮索など意味がないのだが、ただの個人的な整理である。 といっても、私は「歴史探偵」などとは程遠い、ただの素人である。例えば、「分からない」と私が書くのは、「史料がない」という意味ではなく、ただ私が「知らない」…

 三木清:獄死前後8

三木はなぜ獄中にいたのか、獄中でどのようにいたのか、などについては後で取り上げることにして、いまは三木の死亡記事(9月30日)から「三木氏獄死事件の示唆」記事(10月5日)までの5日間をのできごとを、確認してみよう。記事と記事の間ということで、先…

 三木清:獄死前後7

どういうことか。 繰り返すが、9月30日の時点では、新聞(朝日)は、たった8行だけの小さい死亡記事を、しかも元官僚の記事の後に載せただけであった。 ところが、いきさつは後回しにするが、僅か5日後の10月4日に、GHQから治安維持法の廃止、特高の解体…

 三木清:獄死前後6

前回最後に触れた件は、そのようなことがあったことを否定したのではない。日本政府にもGHQにも、内部に様々な立場や意見があり言動がある。政府関係者の誰かがGHQ関係者の誰かに政治犯の釈放を打診したがその場では事態が動かなかった、といったよう…

 三木清:獄死前後5

三木が治安維持法違反ではじめて検挙されたのは30年のことだが、そのことには、中野重治が関連している。その検挙にも、いずれ言及することになるだろうが、今はおく。蛇足ながら、敢えてそうするのではないが、この文もまた中野氏流に行ったり来たりするだ…

 三木清:獄死前後4

(面倒なので、文体を変えます)。三木の獄死が9月28日であったこと、その死因がひどい疥癬から来る腎臓障害にあったこと、それらは多分確かだろう。しかし、では死に際がどうであったかについては、三つの証言がある。先に挙げた死亡記事とは別に、新聞には…

 三木清:獄死前後3

ヒストリーつまり「書かれたもの」を、歴史とか物語とか小説とかに分けるのは、図書館や本屋の都合でしかありません。本にしても論文にしても、これはどの資料の何ページにあると、出典の注記をやたら付けたものがありますが、あれは、「真面目な」書き手が…

 三木清:獄死前後2

前回の記事に「豊多摩拘置所で死去」とありました。拘置所ではなく「豊多摩刑務所」ではないのか、と疑問に思われた方がいるかもしれません。 一般的確認をしておくと、逮捕されて警察(東京の場合は警視庁)の「留置場」に留置され、起訴されて「拘置所」に…

 三木清:獄死前後1

(ちょっと必要があるので、ベラスケスは中断して、ここにメモを書いてゆくことにします。) 1945年9月30日の朝日新聞1面の下段片隅に、小さい記事が出ます(新字新かなに変更)。 ●「三木清氏(評論家)二十六日午後三時豊多摩拘置所で急性腎臓炎で死去し…

 ベラスケスの鏡2

さて、ベラスケスです。といっても、大したことを書くつもりはありません。 ディエゴ・ベラスケスは、あのクロムウェルと2か月違いで生まれ2年違いで没した17世紀の人で、レンブラントと共にこの世紀を代表する大画家ですが、そのベラスケスに、「ラス・メ…

 ベラスケスの鏡1(脱線:別姓問題)

おめでとうということばさえ憚られる年の明けです。 内外、余にも余りな世の中に、何を書く気にもなれないまま、年を越してしまいました。しかし、こんなブログでも、長い中断を心配して下さる方も皆無ではないようですので、何を書いたことにもならないこと…