2009-04-01から1ヶ月間の記事一覧

 追記:恥ずかしいこと

一番最初に書き、途中でも書き、最後にもまた書きましたが(くどい(^_^;))、私は関連本も読まずテレビも見ず何も調べず、ただWikipediaの情報だけを材料にして、白洲次郎ブームをからかったというか、ツッコミを入れたというか、まあそんなことで遊んでみた…

 白洲次郎という人(21:最終)

「・・・そして、いよいよ1月31日となった。ゼネストに備えて米軍が展開した。前日、再度マーカットからゼネスト中止を強要されるが、伊井は決行指令を取り消していない。 ・・・だが、マッカーサーは動かないと予測した目論見は、はずれた。決行まで数時間…

 白洲次郎という人(20)

実は、今日と明日と、あと2回分を用意していて、それで終わりのつもりでした。 ところが、全く恥ずかしいことが起こりましたので、少し長くなって恐縮ですが、2回分をまとめて掲載して、終わりにします。 [恥ずかしいこと]、については、最後に書きますm…

 白洲次郎という人(19)

「それにしても、もう終わりにしたいのですが。呆れた長さになりました。」 「ちょっと待ってくれ。終わるのはいいが、最後にいわせてもらいたいことがある。「次郎は〜当時の〜日本人がとった従順過ぎる姿勢とは一線を画し」ってとこだ。 正直いえば、白洲…

 白洲次郎という人(18)

*W=「マッカーサーを叱った男」 −−− 昭和天皇からダグラス・マッカーサーに対するクリスマスプレゼントを届けた時に「その辺にでも置いてくれ」とプレゼントがぞんざいに扱われたために激怒して「仮にも天皇陛下からの贈り物をその辺に置けとは何事か!」と…

 白洲次郎という人(17)

「でも、そんなことよりも、もっと大きな問題は、日本側の作業が、近衛も松本も、国体護持つまり天皇制堅持の案だったということです。そこに、いわゆる「押しつけ」の問題が関係します。」 ○「押しつけ」というのはつまり、GHQが日本に新憲法を「押しつけた…

 白洲次郎という人(16)

(読み返すまでもなく、いい加減なことを書いています。ミスは登場人物のせいにできるよう、こちらもフィクションにフィクションで対抗しているわけですが(^o^)、余計面倒で早くやめたい(^_^;)) 「とにかく甘いのです。一番典型的なのは近衛公でしょうね。…

 白洲次郎という人(15)

○前にもお聞きしましたが、途中退役して改めて日本に留学され、日本戦後史の研究者になられたわけですね。 「シューレンで体験した出来事の重要性が分かればこそ、現場で体験した出来事の歴史的意味をきちんと捉え直したいと思ったのです。ところが歴史とい…

 白洲次郎という人(14)

*W=「(1945)年には憲法改正問題で、佐々木惣一京都帝国大学教授に憲法改正の進捗を督促する。昭和21年(1946年)2月13日、松本烝治国務大臣が中心として起草した憲法改正案(松本案)がGHQ/SCAPの拒否にあった際に、GHQ/SCAP草案(マッカーサー案)を提…

 白洲次郎という人(13)

*W=「〜本人が元々持っていた押しの強さと原理原則(プリンシプル)を重視する性格から主張すべきところは頑強に主張し、GHQ/SCAP某要人をして「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめた。」 「この「某要人」って、誰のことでしょうねえ。それにしても大…

 白洲次郎という人(12)

(長い。終わらない。もう、やけくそですね。) 「よく覚えていますよ。あの頃私たちは、毎日のように会っていましたから。シューレンっていってましたが、正式には何ていいましたっけね? 彼はそこの担当官でした。 確かに彼は、他の日本人とは、違っていま…

 白洲次郎という人(11)

○ 白洲は、でも、1年半ほどで終連をやめますね。国を背負ってGHQとやりあったっていう、有名な白洲の活躍時期は、案外短いんですね。 ■ 「国を背負って」? それをいうなら、誰に聞いても吉田でしょう、良かれ悪しかれね。白洲というのは、いうならば吉田が…

 白洲次郎という人(10)

ということで、「虚像」相手にこれ以上書くのも何ですが、行きがかり上、本丸前でやめるというのも何ですし・・ ま、こちらも同じく「事実に基づいて」やりましょう。 *W=「昭和20年(1945年)、東久邇宮内閣の外務大臣に就任した吉田の懇請で終戦連絡中央…