2006-01-01から1年間の記事一覧

 F・ノート16

こうして、新たなモノが出現する。食べた草は、身体という内なる闇に入ってしまうので、山羊が食べるという<行動によって関わる>のは、草原の草だけである。しかしいまは、同じ木の実でも、「木になっている実」の他に「手で採った実」がある。たとえ手か…

 F・ノート15

まずいことをはじめてしまった。これでは終われない。適当にやめるが、さしあたり、「食べる」話だけしておくことにする。もちろん、例えば食べることも排泄することも物質交換としては等価であるし、食べることが生活行動の中心だとして他の行動を軽視する…

 見下したい他人

小泉はやめましたが、石原、細木などなど、とにかく他人を見下し無礼な口をきく人物を、人々は何故もてはやすのでしょうか。それがどうも分かりません。 いや、分かっているのです。人々は、見下され罵倒される側でこそあるのに、心理的には逆に見下す側に立…

 F・ノート14

もうひとつ、オマケというか補足というか。 前に、ものを身体に取り込むのは口に入ったときか呑み込んだときか消化吸収したときかなどといったことなどこだわる必要はないといった。つまり、どこから身体なのかは曖昧であるが、別にそれで構わないとといった…

 F・ノート13

閑話休題。 経験世界を論じるとき、軽視されて来たことのひとつは、スケールの問題であるように思われるがどうであろうか。例えば、先に、世界はテレビ画面のように一瞬にして切り替わらないといったが、それは、あくまで「私の」世界についてである。もし私…

 サムライ続

なるほどと思ったので、少しだけ続きを。 生井英考さんという人が、こちらも渡辺謙の評判が高いらしい、例の硫黄島2部作に関してこういっている(13日朝日)。「イーストウッド自身の意図はともかく」、イラク戦争に「最も忠実に付き合った」おかげで、「い…

 ラスト・サムライ

めったに、いやほとんど映画は(映画館だけでなくビデオ、テレビでも)見ないのだが、勧められて「ラスト・サムライ」を、今頃みた。史実や時代考証を無視すれば娯楽作としてよく出来てるし渡辺謙がかっこいい、といったところが一般評らしいという程度の予…

 F・ノート12

ちょっと幕間。私の好きなジョークのひとつに、山で迷ったグループの小話がある。有名なジョークなので、聞いたことがある人もいるだろう。・・・・・ あるグループが山登りの途中で道に迷った。そこで、小高い丘に登って、みんなで地図と辺りの地形を見比べ…

 F・ノート11

補足。もちろん、いまや単細胞生物とは違って、山に入って木の実を採るだけでなく鉄製の飛び道具を作って鹿を撃ったりもしようとというのだから、私の身体の複雑さははかりしれない。機構的にも活動自体も非常に高次複雑重層化し、そして、境界領域との間で…

2* F・ノート10 意識は、私の身体と分かちがたく結びついている。いい換えれば、意識にとっての世界は、私の身体という特権的な物体が<いま・ここ>にいる世界であり、そして<いま・ここ>から身体的に関わることのできる世界である。 身体的に関わるとは…

 F・ノート9

以上、怪しいことを大急ぎで辿ってきたのは、ともかく、「生活行動」という概念に辿りつきたいからである。つまり人間にまで。 しかし先ず、これまた大急ぎだが、「意識」を処理しておかねばらない。 外的に見られた意識は、つまり、この生物に意識がある/…

 ブックマーク

ブラウザはFirefoxを使っているのですが、先日、ブックマークが消えてしまいました。ちなみに、昔からMS支配を仇のように思っていながら、UNIXでもMACでもなく、MS-DOSの時代からMSを離れないでいるのは、情けないことであります。いずれUNIX系がもっと伸び…

 F・ノート8

さてしかし、そういうことであるとすれば、生命体の更新を支える物質交換は、近傍領域の更新を支える自然循環のレベルを越えることができない。 そこで、生命体の活動レベルが上がるには、新たな変化がいる。おそらく、そのひとつは、近傍領域の拡大であって…

 F・ノート7

生命体ないし生命系は、環境世界を二重化する。もちろんその区切りは曖昧ではあるが、それは問題ではない。 ともかく、生命体は、絶えざる生命活動による内的状態の劣化すなわち生成した不要物の増加と消耗した原物質の不足を、近傍空間との物質交換によって…

 忘れもの

前にも書いたが、物忘れの名人である。ずっと前から、自分は余程ひどいという自覚がある。しかし世の中には、子供連れで外出してわが子を置き忘れて帰ったりするような人もザラにいるらしく、そういう人に比べれば、まだ足元にも及ばない。 が、しかしそうは…

 F・ノート6

書いているのは個人的趣味以上のものではないし、さしあたり極くありふれたことでしかない。一体これが、将来「ファミリア」な世界の話につながるのかどうかも怪しいが。 さて、さしあたりごく簡単な話なので、原始的な単細胞生命体をイメージしてもらえばよ…

 F・ノート5 

さて、外的世界との絶えざる物質交換によって、持続的に更新する活動状態にあることが、ここでいう「生きている」ということである、と一応したのであった。 先ず、二つのことを確認しておこう。 ひとつは、生命体のあり方がそのようであるなら、「生き続け…

 F・ノート4 

魚石の話が奇譚である根拠は、もちろん、石に封じられた魚が生きていることなどありえないという常識知にある。単なる<もの>は、外界との接触を断つためプラスチックに封じた方が、より長く「あり−続け」られる。一方、中国の特殊な魚と猿は別として、<生…

 F・ノート3 

昨日も今日も、曇りと思えば雨、雨と思えば曇りと、はっきりしない。 さて、「もの」の次に「生き−もの」。ベタな図式だが、まあそういうことで。 といっても、「もの」(物体)と同じく、ここで「生きもの」(生命体)や生命を定義しようというのではない。…

 F・ノート2

つまらぬネタで書くより駄論の方が私としては楽なので、続けることにする。誰も読まないに違いないのだし。 さて、「もの」からはじめよう。どうせ、行きつ戻りつするのであろうが。 単純な生活語としての、数えられる「もの」(物体)は、生活世界で見分け…

 F・ノート1

何冊目かの本を送ってもらった。 ファミリー(家族)は、近代が構造的に抱え込まざるを得なかった前近代として処理され克服されようととしてきたが、そしてそれは、あるところまでは必要で妥当な課題ではあったが、しかし完全な成功を納めるまでには至ってい…

 日本語のリズム

備忘のため、問題だけメモしておく。 日本語4拍子説というのがある。単に音楽だけではない。私見の範囲内であるが多分4拍子説の最初の代表者である別宮貞徳氏においてもそうであるように、歌舞音曲のそれというよりむしろ和歌や俳句の57調リズムについて…

 社会の歴史(続続)

内容の薄いことを書いているだけだが、(続)と書いてしまったので、もう少しだけ。 「"農"中心史観」はいかん、史的農本主義とうい「常識」を覆さなければいかん。おっしゃる通りであろう。「両親は新潟の田舎なんですよ」「ああ、それじゃいまは稲刈りで忙…

 社会の歴史(続)

「全ての百姓は農民である」といった命題の脚を払うのは極く簡単で、農民ではない百姓をたったひとりでも連れてくればそれでよいのだが、もちろん普通の世界は論理学で動いてはいないから、ひとりではまずい。それでも、次々といろんな人々を紹介されると、…

 社会の歴史

中沢新一氏の叔父さんが網野義彦氏だそうで、そのことを書いた本の評判がよいらしい。中沢氏のつながりで、ということではないのだが、たまたま寝る前に読む本がなくなり、まだ読んでいなかった網野氏の『日本社会の歴史』を買ってみた。新書版で3冊である。…

 太田光と中沢新一

先日買って読んだ本のことを書こうと思うのだが、何となく気が重いので、つまらない話からはじめる。 昼食時、よく行く店が満員の上、時間がなかったので、回転の速そうな店に入った。 首からIDカードを下げたままのサラリーマンが多い。隣の客が「日替わ…

 銀河鉄道

松本零士と槇原敬之がもめているらしい。槇原の歌詞の一部が、『銀河鉄道999』の星野鉄郎のことばに「そっくりだ、謝れ」と松本が抗議したので、レコード会社幹部が訪れ、意図的ではないが記憶の断片にあったのかもしれないと謝罪したとのこと。せめてその辺…

 森繁

なまじ男子誕生で、かえって事態がこじれたともいえます。例のことですが。規則変更をし難くなり、このまま推移すると、いずれ候補者がたった一人になってしまいます。いや、そういうことをいうこと自体がいけません。心痛の余り神経を病む方まで現れては、…

 残酷の隠蔽

板東直子氏とかいう作家が新聞コラムで、飼い猫が生んだ子猫を崖下に投げ捨てていると書いたのをきっかけに、多少の議論が起こったらしい。 氏の言い分は、どうやら、子猫殺しを隠さず書くことで、現代文明社会が隠蔽している残酷という現実を、人々の前に改…

 夢の国は塀の中

「学園城郭都市」というのができている。 ありていにいえば、大学に隣接した丘を切り開き、多少のアメニティ施設を付設して造られた、新造住宅団地に過ぎない。そういう団地は、一昔前なら、先ず間違いなく風光自然を看板にしていたであろう。ところが今は、…