2013-06-01から1ヶ月間の記事一覧

 漱石 1911年の頃 26:食堂車と人力車2

「行人」の、南海鉄道の食堂車で昼食をとる場面です。もっとも小説には「南海」という名はありませんが。 「翌日朝の汽車で立った自分達は狭い列車のなかの食堂で昼飯を食った。「給仕がみんな女だから面白い。しかもなかなか別嬪がいますぜ、白いエプロンを…

 漱石 1911年の頃 25:食堂車と人力車1

リサイクルの古本屋で、偶然今度はちくま文庫版『こころ』の、小森陽一氏による解説をパラパラしました。立ち読みですので、もちろん正確では全くありませんが、こちらは菊田氏とは正反対。「君、理論の言葉は灰色で、緑なす生命の樹は黄金色だよ」。性愛を…

 漱石 1911年の頃 番外3-2:アラサー

「先生」は、帝大に進んで、お嬢さんのいる下宿に入りますが、菊田氏は、「当時先生は二十四、五歳になっていたはずである」と書いています。けれども、教育制度史には不案内ながら、その頃の東京帝大生のストレート・モデルでは、20才か21才入学としてもよ…

 漱石 1911年の頃 番外3:入学年令

失礼が過ぎましたので、320円で買いました(^o^)。本文を読まない本を買ったのは初めてですが、早速訂正させて頂きます。吉永みち子さんのことばは、こうでした。「己の心のありようも愛の本質もその残酷さも知っていたのは奥さんの方だったのではないかと思…

 漱石 1911年の頃 番外2:学問と縫針 

事情で本編は先送りにし、番外で繋がせて頂きます。 前回、「女を見くびっている」という、少し不穏当な表現をしましたが、あれも漱石いや「先生」の言葉の引用です。『こころ』については、後に別の形で取り上げるつもりですが、もともと「先生」は、女性の…

 漱石 1911年の頃 番外:見くびられる私たち

前回は、乱暴なひとまとめを目指して虞美人草からはじめた以上、「こころ」まで行くつもりだったのですが、余りにも長くなりましたので、次の機会にまわすことにしました。あれもまた、乱暴にいえば、先生と私とKという男たちが、人生や人間の謎にさんざん…