2006-11-01から1ヶ月間の記事一覧

 F・ノート5 

さて、外的世界との絶えざる物質交換によって、持続的に更新する活動状態にあることが、ここでいう「生きている」ということである、と一応したのであった。 先ず、二つのことを確認しておこう。 ひとつは、生命体のあり方がそのようであるなら、「生き続け…

 F・ノート4 

魚石の話が奇譚である根拠は、もちろん、石に封じられた魚が生きていることなどありえないという常識知にある。単なる<もの>は、外界との接触を断つためプラスチックに封じた方が、より長く「あり−続け」られる。一方、中国の特殊な魚と猿は別として、<生…

 F・ノート3 

昨日も今日も、曇りと思えば雨、雨と思えば曇りと、はっきりしない。 さて、「もの」の次に「生き−もの」。ベタな図式だが、まあそういうことで。 といっても、「もの」(物体)と同じく、ここで「生きもの」(生命体)や生命を定義しようというのではない。…

 F・ノート2

つまらぬネタで書くより駄論の方が私としては楽なので、続けることにする。誰も読まないに違いないのだし。 さて、「もの」からはじめよう。どうせ、行きつ戻りつするのであろうが。 単純な生活語としての、数えられる「もの」(物体)は、生活世界で見分け…

 F・ノート1

何冊目かの本を送ってもらった。 ファミリー(家族)は、近代が構造的に抱え込まざるを得なかった前近代として処理され克服されようととしてきたが、そしてそれは、あるところまでは必要で妥当な課題ではあったが、しかし完全な成功を納めるまでには至ってい…

 日本語のリズム

備忘のため、問題だけメモしておく。 日本語4拍子説というのがある。単に音楽だけではない。私見の範囲内であるが多分4拍子説の最初の代表者である別宮貞徳氏においてもそうであるように、歌舞音曲のそれというよりむしろ和歌や俳句の57調リズムについて…

 社会の歴史(続続)

内容の薄いことを書いているだけだが、(続)と書いてしまったので、もう少しだけ。 「"農"中心史観」はいかん、史的農本主義とうい「常識」を覆さなければいかん。おっしゃる通りであろう。「両親は新潟の田舎なんですよ」「ああ、それじゃいまは稲刈りで忙…

 社会の歴史(続)

「全ての百姓は農民である」といった命題の脚を払うのは極く簡単で、農民ではない百姓をたったひとりでも連れてくればそれでよいのだが、もちろん普通の世界は論理学で動いてはいないから、ひとりではまずい。それでも、次々といろんな人々を紹介されると、…

 社会の歴史

中沢新一氏の叔父さんが網野義彦氏だそうで、そのことを書いた本の評判がよいらしい。中沢氏のつながりで、ということではないのだが、たまたま寝る前に読む本がなくなり、まだ読んでいなかった網野氏の『日本社会の歴史』を買ってみた。新書版で3冊である。…