謝罪と革命

 昨日の新聞。
 アベがアメリカへ行って「謝罪発言」をし、ブッシュが「首相の謝罪を受け入れる」といったという。英語では何といったのか知らないが、少なくとも日本語としては、第三者であるブッシュが「謝罪を受け入れる」というのは、ヘンである。
 しかし実は、ヘンではない。アベは、韓国へ行って元慰安婦に謝罪したのでは決してなく、アメリカへ行って不快感を与えたことをブッシュに謝罪し、だからブッシュが、謝罪を受け入れたのである。
 で、そのアベの支持率が上昇し、不支持率を越えたという。
 同じ新聞に、「万国の労働者 団結の時」、という見出しを見つけた。何だ?と思って見ると、編集委員のコラムだった。
 「企業と資本がより有利な投資先を求め自由に国境を越える時代」、労働者は、「半分以下の賃金で働く出稼ぎ労働者」の急増などをバックにした経営者側から、労働時間延長・賃下げ・人員整理を迫られ、呑まなければ生産拠点を労賃の安い国へと移すと脅され、こうして、「国境をはさんだ労働者同士の雇用の奪い合い」により、「労働条件が下に平準化する<Race to the Bottom 底辺への競争>」を余儀なくされている、という。
 そこで編集子はいう。かつて共産党宣言は「万国の労働者よ団結せよ」といったが、いまこそ労働者側の国際的連帯が求められている。「だが<国際的連帯>の素地はあるのかどうか。とりわけ先進国の労働者は、途上国の人々や国内の非正規社員の低賃金労働による<果実>を分配されてきた面がある」。「社会運動として公正や他者、ヒューマニズムへの思いをどこまでもてるのか。」「<既得権益>を捨てるのは簡単ではないが、いまこそ多様な形の<団結>を考える時だと感じる」。・・・と。
 誠にごもっともである。
 コラム氏は、国境を越えて「より有利な投資先を求め」る「企業と資本」には、特に何も求めていない。そういう「時代」なんだからしようがないのである。あるいは、「企業と資本」というのは、そういうモノなんだからしようがないのである。
 一方、コラム氏は、「いまこそ労働者側」に何かが「求められている」という。では、求められているのは何か、団結して何をするのか。そのあたりのことはあいまいであるが、どうやらコラム氏は、「公正や他者、ヒューマニズムへの思いをもつ」こと、「既得権益を捨てる」ことを、「万国の労働者」に求めているらしい。つまり、例えば、自分たちより低賃金の労働者への「思いをも」って賃下げに強く反対しないとか、出稼ぎ労働者に職を譲るため馘首に強く反対しないとかいったことであろうか。
 誠に結構なことである。賛成である。
 コラム氏がわざわざ持ち出している共産党宣言は、やみくもに「団結せよ」といったわけではなく、団結して<あること>をせよ、と宣言したのであった。あるいは、われわれは<あること>を起こすぞ、と宣言したのであった。だが、慎み深いコラム氏は、「国際的連帯」は「求める」が、「万国の労働者よ、団結してあることをせよ」とは決して書かない。「企業と資本」が、今後ますます有利な投資先を求めて国際的活動をしまくるのは、そういう「時代」の現実なんだから、しようがないのである。