1897-32:水の昼食

 イギリスのあたりから、大ざっぱ話になってしまった。辞書がいかん、と責任転嫁しておこう(笑)。
 長すぎたので、残り物の整理だけして、ひとまず区切りにする。
 周知のように、日本の鉄道が狭軌レールになったのは、インドの余り物の使い回しだったからであるというのは、誤った「通説」らしいのだが。イギリスとしては、ある時点で、インドに汽車を走らせたり紡績機械を置かせたりした方が儲かるということになり、さらに日本でも使い回しにできるという、ありがたい儲け話になった。手作り綿を止めさせては儲け、機械綿を作らせては儲け、レールを敷いては儲け、汽車を走らせては儲ける。三角貿易か何かは知らないが、綿を売っては儲け、奴隷を運んでは儲け、綿花を持ち帰っては儲け・・・世界中の富が集まるわけである。
 ただし、そのイギリスにしてからが、奴隷は、国内にも作り出された。悲惨な労働環境で長時間働かねばならない人々の群れである。紡績業者である父からマンチェスターの綿工場へと送られたF.エンゲルスは、労働者の貧困に衝撃を受け、取材と調査を踏まえて1845年に『イギリスにおける労働者階級の状態』を書いた。
 半世紀の後のいま、横山源之助は「日本之下層社会」についてのルポを書いている。彼はそれを本にまとめ(1899年)、さらに、厳しい労働条件の下で過酷な労働に苦しむ労働者たちの姿を伝えるべく、商務省の報告書(1903年『職工事情』)にも協力するだろう。
 だが、新しい「時代」の大波に翻弄される運命に直面したのは、「職工」だけではなかった。