1897-33:明治30年

 あと少しだけつけ足して、ひとまず区切りにしよう。そのうち、次は1911年にでもしようかとか思っているのだが、先のことは分からない。
 さて、元日から『金色夜叉』の連載がはじまったこの年。獲得した賠償金で金本位制も確立し財政も景気も悪くない。鉄道の線路が延び、国産綿糸の輸出が輸入を越える。八幡製鉄所の建設に着手したばかりで重工業は未だしだが、それでもひとまず産業革命による殖産興業の道が見えた。だが、産業を興し殖やすことは、炭坑や工場や機関庫やその他至るところに不満と怒りを興し殖やすことでもあった。この年、アメリカ帰りの高野房太郎らによって、日本最初の労働組合である労働組合期成会が結成される。
 だが、金色の夜叉が求める生贄は、それだけではなかった。この年、古河市兵衛足尾銅山から流れ出す鉱毒にたまりかねた渡良瀬川流域の住民たちが、深刻な被害を訴えるべく大挙押し出すが、これは、鉱毒問題が世の中を驚かせた最初に過ぎなかい。
 だが人々は、金色の夜叉によって、抑えつけられ打ちひしがれていただけではない。近代戦争で大国清に勝ったという昂揚感と三国干渉に対する屈辱感の記憶はまだ消えていない。朝鮮半島はすでに手中にあり大陸でも鉄道は確保したつもりである。この年創刊の高山樗牛『太陽』は日本主義を賛し、亜細亜の覇者としての優越感が、次の戦争への予感を誘う。
 ちなみにこの年、幸徳秋水はなおアメリカにあり、北一輝は旧制佐渡中学校に入学した。
 三木清とチャンドラボースが生まれたのは、おおよそ、こういう年であった。