<変>な新聞広告(3):ハハハ、ナルホド

 最初に白状したように、私は全くの素人である。日本の広告史上最も有名な「赤玉ポートワイン」のポスター位はもちろん知っていたが、あれも片岡敏郎だということは知らなかった。
 1907年に壽屋が発売した「赤玉ポートワイン」は、ヨーロッパで愛飲されている本場の「ポートワイン」からのクレームで現在は「スイートワイン」と名前を変えているように、かなり甘い赤ワインである。しかし、かつての日本では、普通の人がワインといえば「赤玉ポートワイン」を指すほど、有名だった。他にも「白玉ホワイトワイン」とか「蜂印葡萄酒」、「大黒葡萄酒」とかいったものもあったが、赤玉同様甘い加糖ワインだったのではなかろうか。少なくとも広告では、たいてい「健康、滋養」といったことばを使って、今の養命酒に似たアピールをしている。
 もちろん、各地各ワイナリーの国産ワインを選べる現在とは違って、戦前の酒屋には、(甘くない)国産ワインはほとんどなかった。
 だが、この広告の「ブドウ酒」は、甲州である。これは(甘くない)甲州ワインではあるまいか。
 甲州ワインといえば、私も飲んでいる「サドヤ(SADOYA)」がある。サドヤ醸造場は、甲州の風土の中で、ヨーロッパに負けないワインを造ろうと研究を重ね、昭和初期、フランス産品種の栽培に成功し、カベルネ・ソーヴィニヨンセミヨンによる「シャトーブリヤン」を世に送り出した。その後も高品質のワインを造り続け、国内はもちろん、海外からも高い評価をえている。(→サドヤ醸造場SADOYAオンラインショップ
 さて、前置きが長くなったが、この広告(東京朝日1924.6.24.)は、サドヤではないが、甲州の葡萄酒である。
 「信玄印」とはいかにも甲州っぽいが、小さいながら一見ありふれた広告のように思える。だが、よくみると・・・
 右側は、角帽詰襟の学生で、「ハ・・、ナルホド」といっているのは、この学生と思われる。しかし、一体何がナルホドなのだろうか。1杯飲んだ後、「ナルホド、うまい!」と2杯目をついでもらっているところであろうか。だが、それにしては、「うまい!」というような表情では全くない。それに第一、視線はワインにではなく、目の前の女給らしき女性の顔に向けられている。これでは、悪友から評判の美人女給の店を吹き込まれて、「ハハハ、ナルホド、シャン(美人)だ」とでもいっているかのようではないか。
 視線といえば、女性も<変>である。ボトルの持ち方は女給っぽいが、ボトルもグラスも見ないで、完全に目の前の角帽を見つめている。隣にいれば、「おいおい、こぼれるゾ」と声をかけたくなったであろう。
 ついでに、「一切自営」という文字の意味もよく分からない。「サドヤ」のように、「うちで栽培し収穫したブドウをうちで醸造したブドウ酒です」という意味だろうか。だとしても「自営」は変である。(ちなみにサドヤは、農場と醸造場を、兄弟で分担経営されている)。
 しかし、翻って考えてみると、当時のワインは、庶民が日常的に飲む酒ではなかった。その意味では、<西洋的文物に多少の知識も好奇心もある、エリート階級に属する青年>というのは、ワインを広げてもらうターゲットとして間違っていないともいえる。もしかすると、角帽の学生と女給を配したこの広告は、案外、<変>ではなく、かなり<まとも>に計算されたものだったのかもしれない。
 いずれにしても、見れば見るほど不思議な、味わいのある広告である。