著作権の非親告罪化

 「とんでもない法案が審議されている」、と、たけくま氏が書いておられる。
 何だろうと思って読むと、著作権法親告罪ではなくしようという動きがあるとのこと。
 実に、< と ん で も な い ! >ことである。
 とりあえず、「竹熊健太郎のブログたけくまメモ」を、ここに貼っておく。
 なお、数日前にここで、「私は知的所有権の類は有害だという暴論をもっている。全て、とはいわないまでも、ほとんどがそうだと思っている。」と書いたが、竹熊氏は、大人なので、そういうぶっきらぼうな「暴論」ではなく、きちんと、「あらゆる創作は模倣の土台のうえに成立しているというのが、昔も今も変わらない俺の持論であります。それゆえ、著作権は守られるべきであると同時に制限もされるべきなのです」、と書いておられ、またそのことについて突っ込んだ議論もして来られている。是非ご一読を。
 ちなみに私の「暴論」は、暴論なんだから、きちんと考えたことは一度もないが、基本は、何でも作りたいヤツは勝手に作ればよい、ということであって、つまり、パクリる自由もパクられる自由もあってよい、というだけのことである。しかし、全く何も規制がないと、まずい場合もあるだろう。例えば・・・ある期間、職もなく作品作りに没頭して素晴らしい歌や小説を作ったのに、発表したトタン、しかるべき企業が一銭も払わずにその曲や小説で金儲けをするなんてことが起こるに決まっている。それでも、好きなことを勝手にやっていい作品ができたという満足感だけで十分OKだと、暴論的には思うのだが、まあ、それじゃ可哀相だという世間的な声もよく分かるし、作者を無視して金儲けする業界は確かにけしからん。そこで、まあ、詳しく考えたことはないが、10年いやおまけして20年程度は、著作権的な保護を認める。ただし、年収が、5000万円いや3000万円(やけに細かいが)でどうだろうか。それを超えた時点で、著作権は消滅する。これは、その作品からの収入ではなく、年収である。つまり、すばらしい作品を作った者は、人々の称賛だけで十分報われる、というのが基本なのだが、但し、人並み以下とか超貧乏の作者というのは少し可哀相だから、人並みより少しだけ多めには金を稼いでもいいかな、ということである。・・・とはいえ、きちんと考えたことではないから穴だらけだし、とにかく誰も賛成しない「暴論」であるから、主張はしない。