けしからん

 実際にあった話らしい。もちろん、聞いた話なので、どの程度本当なのかは知らないが。
 かなり昔のある年。「・・・次に福利厚生上の問題点として・・、夕食時間を超えて残業した(職員)は、自費で出前を取るとかなりの出費を強いられるので、夜遅くなっても空腹のまま仕事することになりがちである。これは、健康管理の面で大きな問題ではないか」。「(職員)食堂の開業時間を延長し、7時を越えて残業している(職員)に、食券を出すという方向で検討したい」。
 翌年。「昼も夜も同じ食堂でというのは味気ないと不評である。出前を取れるようにしてほしい」。「食堂でも出前でもというわけにはゆかないが、食堂の時間延長をやめれば、その経費削減分で、一人当たりの額を出前を取れる程度に上げることができるかもしれない。それでよければ、要望に沿った方向で検討したい」。「了解」。
 想像だが、多分そんなわけで慣行ができたらしい。
 だが、先年。「最近、仕事が増えているのに残業を認められず、サービス残量せざるをえないケースが出ているのは大問題だ」。「認定が多少厳しくなっているのは、わざと7時まで残業して出前を食べて帰るような者が増えているからだと聞いている」。「確かに、現在のシステムでは、昼間詰めて仕事をして、残業しないよう努力する者が報われるようになっていない。だから、むしろ、一律支給にしてはどうか」。「それは駄目だ。名目が立たない。カネもかかる」。「カネについては、出前目当ての残業がなくなり残業手当の支給が減るから、かえって経費節減になる筈だ。それに、残業認定のトラブルもなくなる。名目は、全職員が対象にできるようなものにすればよい」。「残業手当節減に協力してくれるなら、試案だが、健康管理手当という名目で、一律支給を検討しよう」。
 実は、私は、周辺の食堂のオヤジから話を聞いたのである。「以前はねえ、みんな出前を食べてから帰ってくれたんですわ。この辺の店はどことも、それで助かってたんですけどね。それがあんた、規則が変わったとかで、注文がガタ減りになってしまって。もう、サッパリ・・・。長年協力して来たのに、殺生な話ですわ・・・」。もちろん、交渉のやりとりは全くの想像であり、ホントに一律支給になったのかどうかも怪しいが、以前は出前を食べて帰る職員が多かったというのはホントのことらしい。
 まあその話については、聞いたのが数年前のことなので、その後どうなっているのかも全く知らないのだが、仮に、似たケースが今もあったとして、マスコミが嗅ぎつけたりすると大変である。昨今の風潮に乗って、ワイドショウのネタになり、双方が追求されることになる。「経緯からみれば、これは夕食代でしょう。夕食代を一律支給するなんて、おかしいじゃないですか。」「いや、これはその・・・夕食代といったようなものではありません。あくまで健康管理手当ということでして、職員に健康に仕事をしてもらうことが、ひいては皆様のお役にも立つわけです」。「長年の交渉を経て獲得された既得の権利でありまして、これはその・・・職場の福利厚生が不十分である面を、個々にカバーしてゆくための手当と理解しております」。とか何とか、<正義の>レポーターの<追求>にしどろもどろとなるのはやむをえない。そして、ビール片手にテレビを見ている私たち視聴者は、レポーターに向かって、「そうだ。あんたのいう通りだ。全くけしからん、悪しき慣行だ・・・」、と、思わず叫んだりするのである。
 しかし、上の文中、(職員)というところを(社員)ということばに置き換えれば、どうだろうか。少なくとも私などは、名目はどうであれ、少しでも多く獲得すること(取り返すこと)は結構なことじゃないかと思ってしまう。チクショー大企業はうらやましいなあ、とは多少思っても、けしからんとは思わない。
 思うに、テレビの前で「けしからん」という時、私は経営者の顔になっているのである。「全くけしからん。われわれの出した金じゃないか」。確かに、その通り。連中は「僕」つまり「召使い」であって、私たちご主人様からすれば、召使いが余計なカネを手にするのは実に腹立たしい。
 とはいえ、同じ「われわれの金」でも、例えば防衛費などにいくら湯水の如く無駄使いされようと、それは「オカミ」の決めることなので、ワイドショウも私たち視聴者も、もう全くのおまかせで<追求>なんかはしないのである。憤慨する向きがあっても無駄である。召使いとオカミをどう区別するのかとか、<納税者意識>をどういうカネに発揮するかということも、市民社会における「主人」であるわれわれ視聴者が決めることだから、文句あっか。てなものなのである。