保育園で飴をとる

 愛知県で、交番を訪れたホームレスの男が、指名手配中であることを見抜かれて逮捕されたという。指名手配は、先月、近くの保育園の鍵のかかっていなかった窓から侵入し、バスタオルや飴など、2450円相当を盗んだ疑いによる。同容疑者は公園のテントで生活しており、「空腹をこらえきれずにやった」と、容疑を認めているという。
 もし彼が、単に、「空腹でこらえきれない」と訴えただけなら、警察は何の「手配」もしてくれなかったであろう。警察は、ホームレスの男の命ではなく、2000円余りのアメを守るために、わざわざ「手配」したのである。
 昔、色川大吉の本で、こういう話を読んだ記憶がある。ある農家で餅をついた。つまり、それなりの豪農だったのだろう。ところが翌朝、屋敷内で、隣の貧しい老人が死んでいるのが発見された。貧農ゆえに空腹に耐えかねて忍び込み、餅を見つけて思わずそのまま貪り食べようとして、喉に詰まらせて死んだのである。
 なぜ人は、「空腹をこらえきれずに」という条件ではじめて、飴や餅に手を出すのか。なぜ人は、それまでずっと、「空腹をこらえ」て、飴や餅に手を出さないのか。そう、確か色川は問うていた。交番でも保育園でも豊かな隣家でも、その他どこでもいいから訪れて、「空腹なんだ、余っているあめでも餅でも喰いたいのだが・・」、といったりせずに、黙ったまま耐えに耐え、とうとう、田畑を失い家を失い家族を失い職を失い、遂に「こらえきれずに」、それでも、(困民党とか貧民党とか名乗って)堂々と談判したり打ち壊したりするのでなく、こっそりと忍び込み、あげくに逮捕されたり、死んでしまったりする。
 昔の話ではない。「耐えろ」といったコイズミの人気は、いまなお高い。
 (ちなみに彼は「米百俵の精神」ということばを使って「耐えろ」といったが、「しかし、この逸話は本来「米をもらった方が将来のために我慢して使わない」話であって、小泉首相が暗に示唆したような「米を与える方が『将来のためだから』我慢させて与えず使わせない」話ではない」(Wikipedia)。