しょぼい時代のサルトル

monduhr2008-06-10

 もちろん昔から一発ギャグとか一発芸とかはあったわけですが、最近は話芸や掛け合いを「愉しむ」というのではなく、とにかく「笑う」ことばかりが求められ、それも、1分間で何回笑うか何人笑うかなんて類の競争で、芸人さんも大変なことです。が中には、「瞬間芸」よりは少し長めの芸風の人もいて、そのうちのひとり犬井ヒロシは、30過ぎでしょうが一昔前の格好で、「どちらを選ぶかは・・・自由だあ〜〜」、と叫んでいます。一昔前を知らない若い人も笑っているのは少し不思議に見えますが、パロディとしてではなく素直にギャグとして笑っているのでしょう。
 ちなみに、ごく一部では有名らしい??”猿寅日記”では、犬井ヒロシのモノマネ?を、哲学者サルトルが、演じています。(図は、了解をえて[ここ]から引用)。サルトルといえば、マルクス主義は20世紀において乗り越え不可能だといったので有名ですが、マルクス主義はともかく、ご本人の方は、死後たちまちにして、少なくとも<乗り越えられたと思われて>しまいました。もちろん、猿寅氏のように、<思われている>だけだと主張する応援団もいるのですが、それは一部で、一般にはすっかり、そう<思われて>しまっているようです。
 例えば有栖川有栖氏も、友人の火村センセに、こうつっこまれます。(『マレー鉄道の謎』
 「悪を選択する自由が人間にはあるはずなのに 〜 という理屈は乱暴だろう。そんなものはサルトルの哲学のような中産階級個人主義と自己中心主義から出てくる考えだ・・・・・と、エリッヒ・フロムに一喝されるぜ。人間は、そこまで自由なんだろうか?」。
 問われた有栖氏は、弱気につぶやきます。
 「判らない。−−−が、おそらく、自由ではない」。
 「おそらく、自由ではない」?
 最近は、本屋に入るとすぐ入り口に、たいてい、流行の「お勧め」本が何冊も、これ見よがしに並べられています。そこで、流行なんかに左右されてたまるか、俺は自分の好きな本を買うぜ!、と、ネットの本屋を開くと、「あなたのお好み本はこれ!」と、これまでのデータに基づいた「お勧め」本が示される・・・・という時代。
 実は昨日、少し遠いところに用があり、道の途中にある店で昼食をとったのですが、帰りにも、時間の関係で夕食を食べることになりました。ところが、もちろん全く別の場所の別の店に寄ったのですが、注文をとりに来た女性店員の前で、肉類は怪しいしなあ・・・となると、選択肢が少ないなあ・・・とか思いながら、少しあせって注文したところ、気がつくと、昼とほとんど同じようなものを選んでいました。気がついて、反省というかあきれた次第で、このブログに書こうと思ったわけです。
 そんなこともあるので、実は、もうずっと何年も前から、外で食事をする時には、ある小さな店を行きつけにしています。そこは完全におまかせで、その日によって何が出てくるか全く分かりません。例えば今日も昼食に行ったのですが、いい小イワシがあったからか、フライと煮付けになっていました。というような店なのですが、そこで出されたものは、一切残さず全部食べます。別に無理をしているのでは全くなくて、おいしく頂くわけですが。
 ・・・・・「好きなものを食べる<自由>を求めてそのつど自分で選んで結局いつも同じようなものばかり注文してしまうのか、それとも、自分の好みに縛られない<自由>を求めておまかせにする結果いつも他人が決めたものを食べることになってしまうのか、そのどちらを選ぶかは・・・・・自由だあ〜〜っ」「昼飯 is freedom ! 昼飯 is freedom!」
 しょぼい話ですみません。