少年よ、大志を抱いてどうなるか(1)

 「少年よ、大志を抱け」
 この言葉は、長い間、若い人たちを励ましてきました。アンビシャス(ambitious)などという難しい単語も、この文ゆえに知っている人が多いでしょう。ただし、クラークが「Boys」と呼びかけたのは、ご承知のように、「青年」というべき年齢の学生たちでした。(農学校で実際に「学生」といっていたのか何といっていたのかは、面倒なので調べていません。
 1872(明5)年に、北海道開拓に当たる人材の育成を目指して東京で仮開校した開拓使仮学校は、最初の屯田兵が札幌郊外に入った年に札幌に移転し、翌年札幌農学校と改称しました。その教頭として、というより実質的な校長として招かれたのが、マサチューセッツ農科大学学長のウィリアム・スミス・クラークでした。ただし彼は、わずか8ヶ月いただけで帰国してしまいます。
 その僅かな期間に、青年たちに深い感銘を与え、キリスト教入信者を続出させたのは、やはりただ者ではなかったのでしょうが、しかしクラークという人は、帰国後はパッとしないままだったようです。
 そのことから考えても、おそらく彼が与えた感化とか薫陶とかの大きさは、むしろ受ける側の学生たちによるところが大だったのであろうと思われます。クラークが、「大志を抱け」ということばをいつどのような場面でいったのかについては、実際にそういったのかどうかも含めて、確認されていないようですが、ともかく、若い学生たちの胸に、そういったことばがズンと響いたのは、既に彼らが、大いなる志を抱いて、北の地に参集した者らだったからに違いありません。
 「新しい大地を開拓するリーダーとなって、新しい国作りに参画したい」、というのが、彼らの抱く「大いなる志」だったのでしょう。あるいは、その後様々な分野で名をあげた卒業生の顔ぶれからみると、彼らの「大志」は、農地の開拓をも越えて、様々な新しい天地や新しい分野の「開拓」に当たる先駆的リーダーたらん、といったものだったと推察されます。