子供を撃つ

 「あまり世間には公表できない事実だが、警察官は皆、一般人を見れば犯罪者と思えと教育されているのだ。・・・警察にとり日本国民のすべてが犯罪者予備軍であるのだ。」(貫井徳郎
 「南ビルマのモウルメインでわたしは非常に多くの人から憎まれていた。そこまでの重要人物になったのは、あとにも先にも一度きりだったが。わたしはその町の派出所の警官だったのだ。・・・心のどこかでは、英国の植民地支配を、強固な専制支配である、抑圧された人々の意志を半永久的に踏みつけにするものだ、と思いながら、別のところでは、僧侶たちのはらわたに銃剣を突き刺してやれたらこれほど愉快なことはないだろう、と思っている。」(G.オーウェル
 「皆必死になって助命を乞うが致し方もない。真実は判らないが、哀れな犠牲者が多少含まれているとしても、致し方のないことだという。多少の犠牲者は止むを得ない。抗日分子と敗残兵は徹底的に掃討せよとの、軍司令官松井大将の命令が出ているから、掃討は厳しいものである。」(水谷一等兵
 「支局の近くの夕陽の丘だった。空き地を埋めてくろぐろと、四、五百人もの中国人の男たちがしゃがんでいる。・・・そのまわりをいっぱいにとりかこんで、女や子供たちが茫然とながめているのだ。その顔を一つづつのぞき込めば、親や、夫や、兄弟や子供たちが、目の前で殺されていく恐怖と憎悪に満ち満ちていたにちがいない。・・・傍らに立っている軍曹に私は息せき切っていった。「この中に兵隊じゃない者がいるんだ。助けてください」。・・・「この二人だ。これは絶対に敗残兵じゃない。朝日の支局へ出入りする洋服屋です。さあ、お前たち、早く帰れ」たちまち広場は騒然となった。この先生に頼めば命は助かる、という考えが、虚無と放心から群衆を解き放したのだろう。私たちの外套のすそにすがって、群衆が殺到した。無言で硬直した頬をこわばらせている軍曹をあとにして、私と中村君は空き地を離れた。何度目かの銃声を背中にききながら。」(朝日新聞特派員)

 無邪気に近づいて来る子供に、突然現れたジープに立ちすくむ女性に、アメリカ兵士たちは大声を挙げて銃弾を浴びせる。子供が抱く人形に、女性の持つ籠に、爆薬が仕掛けられているかもしれない。いや、そのようなことを考えている余裕すらない。「反射的に殺せ」、と兵士は身体に叩き込まれる。
 個別的な事実が問題なのではない。事実というなら、支配あるいは侵略こそが事実であり、支配あるいは侵略者は、恐怖の海で、誰彼構わず殺し尽くす他、道はない。もちろん警官や兵士だけではない。関東大震災時に朝鮮人と思しき人々を次々と殺したのは、普通の日本人市民たちだった。
 「子供を撃ち殺す」というやり方をする限り、結局のところ、イギリスはビルマ(現ミャンマー)から、日本は中国大陸や朝鮮半島から、アメリカはベトナムイラクから、追い出される他、道は残っていなかった。
 イギリスを筆頭とする列強が、自らの歴史のゴミの集積場のように、建国が侵略である国を作った。だが、同じようなやり方をする限り、いずれ追い落とされる他、道は残ってはいないだろう。
 「子供を殺すな!」