どうなりますか

 日頃、文庫か新書以外は原則として買わない読まない。文庫や新書も、買って読みかけても途中でやめてしまうものも少なくない。そんな本はもちろん、読み終わった本も、よほどのことがなければ、読後はダンボールに放り込む。横着で誠に申しわけないのだが、貯まるとブックオフが取りに来てくれて、シャプラニールという市民団体を通して海外支援に役立ててくれるという自己満足を頂いている。とはいえその話ではない。政治家である。
 政治家というのは(もちろん政治家だけではないが)、なかなか一筋縄ではゆかない。例えば広田弘毅である。東京裁判ただひとりの文官死刑囚ということで有名な人だが、城山三郎の『落日燃ゆ』で、悲劇の人というイメージが出来てしまった。キャスト単純二分図式でいえば、悪役や敵役の側ではなく、ヒーローや善人の側である。以前、その城山氏の小説を薄い文庫本で読みかけたのだが、どうも単純な図式が気になって僅かなページを読み切れず、結局途中で投げ出した。多分いまはもう、ブックオフの回転からも外れてしまっているだろう。旧い記憶なので怪しいが、例えば、広田が陸軍大臣現役武官制を復活させたことは、少なくとも結果的に、非常に大きな政治責任のある判断だったと思うのだが、城山氏はむしろ良いことをしようとしたという書き方だったと記憶している。確かに、「しようとした」のかもしれないが、しかし政治は結果責任の世界である。広田自身は、だからこそ申し開きなく従容として絞首台に上ったのでもあろう。だが、だからこそ、後生の者はむしろ、彼の政治責任をきちんと受け止めるべきである。それが紙碑というものであろう。ということで、「<悲劇の宰相>の実像」という副題につられて買った、服部龍二という人の『広田弘毅』という新書を読みかけたところだが面白い。とはいえ、その話でもない。政治家である。
 政治家といえば、昨今のマスコミは、あげてオバマである。もちろん、ブッシュより遙かにマシだろうけれど、まだ何もしない前から、「ヒーロー善人」の側に位置づけられているのが危うい。単純二分図式が一番怖いということを、私たちは知っている。