悲劇の人

 ちなみに、悲劇の宰相といえば、近衛文麿などもそういわれたりする。なるほど「思い」でいうなら、広田も近衛も、起こる前には戦争を回避しようとし、起これば戦線の拡大を防ごうとし、できれば戦争を終結させようとした。だが、国際協調による平和を希求しながら、要所でむしろ戦争を招き寄せる決定をし行動をし、またその動きを止められなかった、あるいは止めなかった。・・・平和を願いつつ戦争劇の主役を演じざるをえなかった。そういうことから、多分「悲劇の人」といわれたりするのであろう。そういえば根拠のないことだが海軍贔屓というのがあって、悲劇の提督山本五十六とか井上成美とかいわれたりもする。はたまた、悲劇の天皇という声は非常に根強い。
 いったい人は、どういう悲劇を観て、誰に同情するのだろうか。
 もとより戦争は交通事故ではないが、いうならば宰相や提督や天皇はドライバーである。
 「近本裕毅さん。あなたは課長ですね。責任者として、どう思っていたのですか。」
 「飲み過ぎはよくない、飲んで運転するのはよくない、と思っていました。」
 「しかし、実際には、何時間も前から、同僚や部下たちと飲んでいたのでしたね。」
 「このままではまずいとは思っていました。宴会を切り上げようと何度も試みました。でも、せっかく盛り上がっている仲間や部下たちを裏切ることはできません。そのまま一緒に飲む他ありませんでした。」
 「危ないとは思わなかったのですか。交通事故で人を殺してもいいと思ったのですか。」
 「殺してもいいなんて、とんでもない。そんなことは思いません。」
 「でも、あなたは泥酔した部下たちを乗せて、ハンドルを握った。」
 「それが、上司としての責任だと思ったからです。」
 「そして、あなたの運転する車は事故を起こし、同乗していた部下の人たちは死にました。」
 「部下を死なせたのは痛恨の極みです。」
 「もっと可哀想なのは、子供たちじゃないですか。あなたの車は、子供たちの列に突っ込み、大勢の子供たちを殺したのですよ。」
 近本裕毅は、実刑判決を受け、会社も懲戒免職となったが、しばらくして、社内で本が作られた。・・・『悲劇の課長近本裕毅』。