異質性と多様性(8)汚染

 (行き当たりばったり。乞ご寛恕)ロビンソンが漂着した島の人たちを、マサティエラ人と呼んでおこう。もし、島の固有文化の維持を第一目的とするならば、ひとりのイギリス人がマサティエラ島に漂着した場合、マサティエラ人は彼を殺すか吸血するかするのが正しい対処法である。偶然のノイズや波紋の抹消によって繰り返し平和が回復され維持される。もちろん、我々もまた、共同の敵や罪人とされた者を殺したり改心させたりすることで日々の平和を維持している。
 殺すか吸血するかしないで、例えばロビンソンを客人扱いするなど、曖昧でいい加減な対処をすることは、マサティエラ文化の命取りにもなりかねない。善意で友好的な人類学者が「悲しき熱帯」に持ち込む空き缶ひとつで変えられてしまう歴史もある。
 宇宙怪物や吸血鬼はわれわれである。そのことに気づいたとしても、さしあたり反省することはない。怪物がわれわれを殺すか血を吸うのは「正しく」、われわれが虫を殺戮するか吸血するのも「正しい」。今のままの文化でいるべきであると、もしするならば。
 第三のロビンソンのように、互いに姿を見ながら無関心無関与でいられればよいのだが、そんなことは、現実にはめったに、むしろ全く、ないだろう。「異なっていられる」というのは、この設定では、かなり難しいことになる。