武士道について12:愛人として死す

 社内クーデター的に鍋島コーポレーションに組織替えする前、龍造寺組だった頃の組長家兼は、仁義に反して主君筋の大組長を裏切って自害させ、次の隆信組長もまた、恩義ある蒲池組を騙し討ちにしてシマを乗っ取ってしまいます。こうした余りの非道さ故に、龍造寺組は周囲の信頼を得られず壊滅し、そのことが鍋島コーポレーションへのクーデターの遠因となりますが、ともかく戦国の世とは。そういう時代だったわけです。
 常朝は、太平の世が武士をダメにしたようなことをいいますが、もし戦の時代に生まれていたなら、ヘナチョコ文弱の彼は、陣中の主君を慰める衆道係はともかく、槍を振るって敵をなぎ倒したり、騙しの使者として単騎敵陣に乗り込だりといった奉公ができた筈はありません。
 かといって彼は、鍋島コーポレーション時代に、会社に大きく貢献する事業を責任者として成功させたわけではなく、藩主の政策側近として藩政に裏から関与していたわけでもないでしょう。もしそうだったとすれば、彼のことですから必ず『葉隠』に縷縷書くでしょう。あるいはまた、藩政とは関わりない奥向きの側近だったとすれば、侍従日記のようなものを延々書くでしょう。しかしそうではありません。
 それでも常朝には、「「お家を我一人で荷なう」の心意気」があったのでしょう。いかに有能な勘定奉行でも江戸家老でも誰でも、稚児小姓として、社長の膝の上で最側近の奉公をしたことがあるのは自分だけだ。彼らの奉公は、会社に対する奉公であって、社長その人に奉公するのは自分だけだ。とまあ、そんな気持ちでしょうか。
 といっても、常朝は当然知っていました。少女時代に愛人だった元秘書が一生社長を想い続けたとしても、それは一方的なものでしかありません。『葉隠』には、人は少年時代に男色で大きな恥を経験することがあるといった記述があって、それには特に意味がないのかもしれませんが、いずれにしても、少年老いやすく恋なり難し、一生の「忍ぶ恋」というわけです。それに、多少のズレがあったようなフシもあります。常朝にとって心の主君は、現社長より初代社長の方だったとも読めなくもありません。
 つまり恋とは、もはや相手に対する想いですらなくて、自らの生と死がそこに架けられているという想いなのかもしれません。戦場で主君に信頼される荒武者でも智将でもなく、平時の藩政に腕を振るう専務でも部長でもなく、かといって侍従でも秘書でもなく、それでも、自分こそが「お家を一人で荷なっている」という<想い>。
 おそらくそこに浮上するのが、「殉死」という自己実現行為、いや自己実現観念なのでしょう。もはや愛人でなくても、それどころか愛してさえいなくても、愛人としての死を死ぬことができるという観念。(続く)