武士道について14:殉死の恨み

 教育勅語銃剣術が復活しそうな気配ですが、そういえばパン屋には郷土愛がないから和菓子屋に、アスレチック公園は「おじいさん」に縁がないから和楽器店に変わるのだそうですから、ハンバーガーは焼き芋に、ラーメンは夜なき蕎麦になるのでしょう。もちろん、原子力発電などは以ての外で、七輪に練炭でサンマ焼く煙が立てば、学園の竈は賑い、忖度とやらで数億が浮き、おまけに百万円まで寄附してもらえるというわけで、もう何が何やら。
 『株式会社ナベシマ五十年史』第2章「鍋島光茂社長時代」の最終節には、社長と共にナベシマを支え、社長と共に引退した、取締役6人の功績が讃えられています。城代家老副社長以下6人衆は、2代目社長の右腕左腕として永年会社を支えてきたが故にこそ、新社長時代を迎えるに当って後進に席を譲って引退し、その貢献を讃えて家族に特別功労年金が約束されたのでした。
 ちなみにその時、秘書課長、文書課長、京都支店長などを務めた山本某も中途退職願いを提出し、特別功労年金の栄誉に預かりたいから切腹しますと申し出て、おいおいやめなさい、何をいうのかねと腕を押さえられ、もちろん退職願は受理されますが特別年金などは問題にもなりません。自分こそ死ぬ気で会社を支えて来たのにという、その時の恨みで彼が後年書いたのが・・・
 読んでみれば、いや読まなくてもざっと眺めて見るだけで分かりますが、武士道の聖典なんてその程度のものですよ、と言った人がいて、そんなものかなあ、と思ったのですが、まだざっと眺めることもしていません。