民意あるいは天命

 前回の記事を見て、教えてくれた人がいた。お笑いの「いじめ」芸については、昔、故坂本龍一氏が批判的に指摘したことがあるという。しかし、予想できることだが、当時はかなり叩かれたらしい。
 ここに来て、M当人はもちろん多くの芸人たちの悪行が次々と暴露されているが、それらは、かつては「面白い話」として、むしろ自慢気に語られ、そして多くの視聴者に「受けた」ことである。今さらとはいわずに当人たちは批判されるべきだし、NHKを含めて各局も対応すべきだが、しかし、長い間面白がって持ち上げてきた「民意」と、それに乗って来た業界のことも覚えておきたい。過去のことではない。今のところM以外は頬カムリのままで、局にも動きはないのは、「民意」は許しているとタカをくくっているのである。
 話が変わるが、先日の最新NHK世論調査によれば、内閣の支持率は26%だったという。最近の政府与党の体たらくにもかかわらず、それでも内閣を支持するというのだから、よほど支持心の強固な人たちなのだろう。だから、選挙になると、少なくとも20%の人は、与党に投票するだろう。とすれば、残り80%は、与党に投票しない計算になるのだが。しかし、50%は選挙に行かず、あと30%あっても、野党はバラバラだから、30%が10,10、5,5などとなって、20%の得票でも1強安泰は動かない。いまの制度では、それが「民意」。民意は1強を支持しているのである。
 しかし、民意にも責任がある、いやむしろ民意に責任がある・・・とはいうべきではない。昔、「一億総ざんげ」といったのは公家首相で、民に責任を担わせることで、軍部為政者の責任逃れを後押ししようとしたのであった。
 民意は無責任である。Vox Populi, Vox Dei(民の声は神の声)ということばは、「民は正しい」という意味ではない。神は何者にも従わない。分かりやすくいえば「民は気まぐれ、民は無責任」という意味である。中国ではそれを、天命といった。易姓革命とは、天命が尽きるとき天下が革(あらた)まることであるが、天命は人心に現れる。つまり天命とは人心であり民意であって、民意は無責任に命を革める(革命)のである。オレらの芸をみんな面白がっていたのに、今になって、みんなしてオレらを叩くとは、と思っているかもしれないが、愚かなことである。天命は突然尽きるのである。
 1強支持の民意の方は、どうだろうか。