偏見と思う偏見

 私たちが常識と思っている事柄が実は単なる偏見でしかない、という例はいくらでもある。例えば、世界地図は北が上に描かれるというのは、私たちの偏見常識に過ぎず、南半球の国例えばオーストラリアなどでは、当然南が上に描かれている。ということで、実際に買ってきた、南が上の世界地図を見せる教員がいたりする。異文化理解というのは、自分の属する文化の常識を相対化することから始まるのです、と。
 私はどこでもほとんど「見聞」しないので、南半球へ行っても地図を意識したことはないが、確かにそういう地図は売っているらしい。ただそれは、北半球の人々のお土産用に特別に作られたものだそうで、つまり、北半球に住む私たちは、自分たちの偏見の自省を愉しむという、屈折した精神の持ち主だということらしい。あるいは、そういうところを見抜いてわざわざ逆転地図を作った豪人の商魂に感心すべきなのかもしれないが。
 ヒトのことはいえない。私も実際、そういう先生の話を聞いて、なるほどと感心した経験があるのだから。多分他にも、自分の偏見だろうと思っているその自省が偏見だったりすることが、いくらでもあるのだろう。