一五年戦争

monduhr2006-08-18

 「太平洋戦争」と書いてしまったので(^_^;)、ひとこと補正だけしておこう。
 例えば、あの戦争で日本はアジアを植民地化していた西洋列強と帝国主義戦争を戦ったのだとか、東京裁判は勝者による裁判であったとか、などなど、あるモメントだけみれば間違ってはいない言挙げをして、さてそれでどうするかというと、戦争を正当化したり戦争責任を棚上げにしたりする。盗人にさえ三分の理、ましてや複雑な歴史過程で一方の側に<理>が皆無であるなどというわけはない。だがもちろん、問題は、二分や三分の理ではなく、トータルな歴史である。
 41年12月に、少なからぬ人々は、それまでの中国への軍事侵攻とともに心理的負担として蓄積されてきた、後ろめたさや鬱屈からの一種の解放感を感じたのだった。その限りでは、当時すでに、明らかに連続した戦争を、非連続なものとして了解したいという心理があった。
 どう言い繕っても、少なくとも31年以後の中国侵攻はアジア「解放」だとは言い張れないし、どう考えても中国を「應懲(ようちょう=こらしめ)」するという<理>は、西洋列強を相手とする戦争の<理>に比べて、弁護が厄介だ。そこで、連続した15年間の戦争が、41年12月で句切られる。
 だがもちろん、41年は少なくとも31年からの延長上にこそあり、ごく簡単にいっても、日本が中国から撤兵していれば、日米戦争はなかった。
 あの戦争での全ての<理>は、切り取られた最後の3年数ヶ月だけでなく、最低限「一五年戦争」のトータルな歴史の中で検証されねばならない。当たり前のことなのだが。