社会の歴史(続続)

monduhr2006-11-19

 内容の薄いことを書いているだけだが、(続)と書いてしまったので、もう少しだけ。
 「"農"中心史観」はいかん、史的農本主義とうい「常識」を覆さなければいかん。おっしゃる通りであろう。「両親は新潟の田舎なんですよ」「ああ、それじゃいまは稲刈りで忙しい時期でしょう」「いえ、家は雑貨屋ですから」。新潟の田舎といえば米作り農家だと思うのは、貧困な常識に違いない。しかしなあ。「日本の社会」といわれると、つい新潟の全体像を、こしひかりのことも含めて知りたいと思うのは、素人読者の哀しさである。
 例えば、他ならぬ「社会」ということばが小見出しに使われている一節がある。1420年代の記述なのだが、支配者の代替わりのことは詳しく書かれ、僅か2年しか在位しない将軍の名前、夭折した年齢などなども教えてもらえる。一方「開闢以来初」といわれた「土民の一揆」の記述は僅か3行。「土民」という支配者側からの呼び名があるだけで、それは一体どういう人たちだったのかすら全く何も分からない。ちなみに、後の「山代の国一揆」についても、1行だけである。
 まあしかし、網野史観というのは、こういうものなのだろう。ビーバップハイスクールの面白さ。
 しかし思えば、時には「コンビニ弁当なんて添加物のかたまりですよ」、といったオーバーなキャッチフレーズも、われわれ素人を啓蒙教化するために大いに必要なのだろう。だから、『コンビニ弁当の全貌』という題で中身は添加物の話ばかりといった警世書もありえよう。誤った「常識を覆」し世の覚醒を促すには、それ位の迫力がいる。そう思えば、私たちは、この本を含めどんな本にも、すべからく謙虚寛容でなければならない。私などは、通史というにしてはちょっと農の分が悪すぎないかなあ、と思ったりするのだが、そういう「農本主義」的関心は、弁当を「食い物」としか見ない、素人の視点なのでもあろう。
 論理学の本ではないのだから、「コンビニ弁当は米の飯じゃない」とか、「百姓は農民ではない」とか、「高校生は勉強なんかしていない」とかいう人がいても、ちっとも構わない。要は、読者がそこから有効な警告を読みとるかどうか、ということなのだろう。
 聞くところによれば、色川氏とか山折氏とか、この本を批判される専門家もいるとかで、それも多分当たっているのだろう。けれどもまあ、本は読みよう。勉強になりました。